いいものに触れる、いいものを創る

楽しかった松山旅行も終わり、仕事にもまれています。昨日は、女房が、正行先生の墓前に、シード金賞受賞のご報告に行く、というので、多摩川を越えてお墓参りをしてきました。好天に恵まれ、ピアノの形をしたお墓は、花と光に埋もれておりました。いい連休を過ごさせてもらいました。

松山での演奏では、女房のソロパートがあったそうなのですが、相当気合が入ったようで、翌日から太ももあたりが突っ張っていたようです。この大事な本番の直前に、ゲルギエフの「悲愴」を聴けた、というのも、女房にとっても素晴らしい経験だったよう。ゲルギエフがタクトによって、平和のために戦い続けているように、一人の歌い手としてできることは、ただ歌い続けることしかない。そんな覚悟の元に、精一杯歌えたようです。

いい演奏や、いい舞台を創ろうと思うと、まず、いい演奏や、いい舞台を見ることが大事、と言われたことがあります。いい舞台でなくてもいい。とにかく、どんな舞台でも、見ることはすごく勉強になる。できれば、いい舞台を見るのがいい。

先日、ナタリー・デセイの演奏会を聴きに行った後、合唱団の練習に行ってみたら、妙に声が飛ぶ気がして、自分でびっくりした記憶があります。残念ながら長続きしなくて、元の木阿弥になっちゃいましたが。いい音楽を聴くと、そのイメージが体を自然に変化させてくれる。無駄な力を抜いて、音楽を遠くに飛ばすイメージ。音楽に体を委ねるイメージ。

ニセ札を見破る方法は、とにかくホンモノの札に触れる機会を増やすことだ、と聞いたことがあります。指が、ホンモノの感触を覚えてしまうまで、ひたすら触れる。すると、指先が、ニセ札の感触の違いを見分けてくれる。人間の指先というのは、非常に微妙なセンサーだから。骨董品でも同じことが言えるそうです。とにかくホンモノを見る。ホンモノに触れる。すると、ニセモノをきちんと見分けることができるようになる。

松本幸四郎さんが、「役者に一番大事なことは、耳だと思う」と、先日TVでおっしゃっているのを聞きました。自分の出している声がいい声か、いいセリフ回しができているか、自分の耳できちんと聞き分けることができる能力。その前提になるのはやっぱり、いい音楽、いいセリフをどれだけ聞いているか、どれだけホンモノに触れているか、ということ。

そんなことを思ったのは、松山、という町自体が、非常に居心地のいい町だったから。なんでかなぁ、と思ったときに、例えば、町の中心にあるどっしりとしたお城や、市内から10分たらずで行ける道後温泉という洗練された観光地の存在、というのは、すごく大きい気がしたんです。歴史に洗われて、それでも残っているホンモノが、身近に存在すること。町自体が、自然と、ホンモノに慣れ親しんでいる。そのうちに、自分自身も、ホンモノを作ることにこだわるようになる。ニセモノの薄っぺらさが目に付くようになる。

いいものを、ホンモノをきちんと見分ける目と、聞き分ける耳を養うこと。自分がいいものを創るための、まずはこれが基本だな、と思いました。