東フィル、東京オペラシティ定期シリーズ、ラフマニノフピアノ協奏曲3番・チャイコフスキー「悲愴」

1か月ほど前に、娘が突然、「『悲愴』を生で聴きたい」と言い出す。学校の音楽部でチェロを弾いている娘は、選曲会議などで色んなオーケストラ曲を聴くことがあって、中で聞いた「悲愴」に感動して、先日のテスト期間も、「悲愴」の三楽章を聞いて元気出して学校に行く、という毎日だったほど「悲愴」ファン。いい時期の演奏会があるかなー、とネットで調べたら、3月の東フィルの定期演奏会で「悲愴」をやるという。場所も家からほど近い初台のオペラシティ。これは行かねば、と家族3人分のチケットを取る。

それでちょっとネットで見てみたのだけど、東京ではオーケストラの演奏会が本当にたくさんあるんですね。中でも「悲愴」は人気曲で、来日演奏会も入れたら、毎月、東京近辺のどこかで「悲愴」の演奏会がある感じ。女房は、「岩手あたりだと演奏会があるだけで曲なんか選べなかったけどねー」とぶつぶつ言っている。パパはノー残業デーで、さっさと退社してオペラシティへ。女房は「利口な女狐」の練習帰りに、娘は学校帰りに、と、三方から家族でオペラシティに集う。指揮はダン・エッティンガー、ピアノはアレクサンダー・コルサンティア。

ラフマニノフの3番、というのは、実は私は初めて聞いたのですけどカッコイイ曲ですね。コルサンティアさんのピアノの鳴りがすごくて、しかも粘着質。その重厚な語り口に、東フィルも負けじと食らいつき、さらにアグレッシブにあおる。ピアノの低音域の鳴りがオケの全音量を凌駕したか、と思うと、それをさらに圧倒するオケのフォルテが火を噴く、まさに丁々発止のガチンコ勝負。フィナーレは思わず腰が浮くような疾走感でした。名演奏。

お目当ての「悲愴」。私は「悲愴」の第一楽章が始まると自動的に涙腺がゆるんでしまう。これはゲルギエフオセチアテロ追悼演奏会の後遺症で、第一楽章のアレグロ・ノン・トロッポが始まると、あの悲惨なテロ現場の映像がフラッシュバックしてしまって止まらなくなる。今回もやっぱりぽろぽろ泣きながら聞いていたんだけど、聞きながら、「悲愴」のドラマはもっと普遍的なものなんだなー、とも思いました。喪失と回復、郷愁と希望、歓喜と悲嘆、時に矛盾し、時に互いに高めあう相反する感情が絡み合って一つの世界を作る。人生のほとんど全てがこの一曲に詰まっているような、そして絡みあった無数の糸が美しい織物を織りあげていくような。

第三楽章の行進曲では、震災からの復興の姿を思い浮かべたりした。長身のエッティンガーさんの指揮はダイナミックでかつケレン味たっぷり。第三楽章から完全にアタッカで慟哭の第四楽章に突入、最後のチェロとコントラバスロングトーンまで、緊張感の途絶えない素晴らしい演奏でした。ガレリア座がお世話になったクラリネットの杉山伸先生のお姿も見ることができました。

オーケストラの演奏会に行くと、CDなどで楽しんでいた耳慣れた音楽の中に、CDでは聞き取れなかった幾層もの音が重なっていることに気付きますよね。生でなければ伝わってこない本来の音の豊饒さ。そういう意味では、オーケストラ曲というのもオペラと同じライブ芸術として楽しむものなんだなー。娘もチェロを始めたおかげで、家族3人で一緒に演奏会を楽しめる、というのもありがたいこと。東京という、オーケストラの演奏会に事欠かない街に住んでいる、というのも恵まれているのだから、これから色んな演奏会に行ってみようかな、と思っています。娘は、「サンサーンスのチェロ協奏曲を生で聴きたいなぁ」と言っているのだけど、さすがの東京でもなかなか演奏されない曲ですよね。ドボルザークのチェロ協奏曲は結構やっているみたいなんだけど。機会があったら3人で行けるといいね。