イタリアオペラに向いている人

音楽というのは、その音楽が何を表現しているか、という以前に、音の絡み合いそのものが純粋に美しくて気持ちいい要素がまずあるんだ、というのは、多分、私のような音楽の素人でも言えることだと思います。バッハの無限に絡み合うようなフーガやカノン、ベートーベンの、これでもかと繰り返される運命の動機などは、それが表現したいものを超えて、圧倒的な美しさを感じる。それは分かる気がします。

オペラという表現は、この純粋な音の絡み合いが生み出す美しさや印象、イメージと、そのオペラの「筋立て」「物語」というドラマと、さらに「人間の肉声」という、それ自体が非常に劇的な表現媒体が絡み合う。総合芸術、というくらいですから、この3つ以外にも沢山の要素が含まれるわけですけど、ここでは、とりあえずこの3点を、大きな要素としておきましょうか。純粋音楽、物語、そして、人間の声。

イタリアオペラというのは、この3つの中でも、人間の声に最も重きを置いて成立している表現形態なんだなぁ、というのを、先日、NHK教育の芸術劇場でやっていた、「道化師」を見て思いました。この舞台は、あまりに評判がいいので、千秋楽のチケットを慌てて取って、生の舞台を見に行ったものです。その舞台の感想は既にこの日記でも書いていますが、今回、TVで再度見て、やっぱりまた泣いてしまった。何に、といえば、やっぱり、ジャコミーニです。やっぱりすごい。

でもその一方で、東フィル=阪 哲朗が、いかにこの「人間の声」という動物的、生理的なものを理解できていなかったか、ということも、再確認してしまいました。ほんとに残念。舞台の上でジャコミーニが炎のような歌を歌っているのに、ピットの中ではメトロノーム状態。なんなのだろう。

なんなのだろう、と思っている時に、友人が貸してくれた、先日BSハイビジョンで放送されていた、大野和士さんのドキュメンタリー番組をちらりと見ました。タンホイザーの終幕を、ピアノを弾きながら解説する大野さんの映像。

大野さんは、ピアノを弾きながら、「ほら、ここで、舞台の奥、遠いところから、巡礼の合唱が聞こえてきます」「舞台前方ではエリザベートが、恋人の帰還を確信して歓喜を歌います。」「ここで明るい救済の音楽が、突然エリザベートの絶望の音楽に変わって・・・」と、目を輝かせながら、音楽とドラマを語る。そしてあわせて歌うのです。大野さんの中で、先にあげたオペラの3つの要素が見事に一体化している様がよく分かる。そして、大野さん自身が、そのイメージに大興奮している。要するに、作り手であると同時に、ものすごくその音楽を愛しているのが分かるんですね。

阪 哲朗さんは、一度、新宿文化センターでやった「愛の妙薬」のオペラレクチャーコンサート、というのでも拝見したことがあったのですが、大野さん同様見事にピアノを弾きこなされます。でも、どこかしら、大野さんから感じる熱情を感じない。非常にクールです。大野さんが「アイーダ」をレクチャーしたレクチャーコンサートを拝聴したこともあるのですが、あの熱さ、ピアノから、オペラの一場面が湧き上がってくるようなイメージがない。非常に分析的。

勿論、阪さんのようなアプローチもあると思うんです。オペラの3つの要素の中の、純粋音楽、という部分を極めて分析的に、クリアに表現する、というアプローチ。批評を聞いただけなのですが、小澤征爾ウィーンフィルがやったモーツァルト、というのは、まさに「純粋音楽」として極めて完成度が高かった、と聞きました。小澤さんというのも、そういう音楽を作る人なんでしょうね。

でも、イタリアオペラは違うと思う。全然。そういう純粋音楽じゃない。人間の声があり、その声が高らかに歌い上げるドラマがあり、それを活かすために音楽がある。初めに声があるんです。初めに音があるんじゃない。この微妙な違い。

阪さんが「ホフマン物語」で評判を取った、という話を聞いて、面白いなぁ、と思いました。オッフェンバック、というのは、非常にモーツァルト的な音楽を書く人で、素晴らしく美しい音楽で、クールにシビアに人間を笑い飛ばしてしまう。ホフマン物語、というのも、非常に悪魔的な音楽で、決して、イタリアオペラ的な、人間のオペラ、という感じがしない。そういうものをやらせたら、きっとお上手なんでしょうね。

でもねぇ、やっぱりオペラは、3つの要素のバランスなんですよ。この3つの要素の折り合いをつけるのは何か、といえば、大野さんのように、その音楽、そのドラマ、その歌、3つの要素の全てを、熱烈に愛する情熱なんです。分析する姿勢は勿論必要でしょうけど、クールじゃない。常に熱いはず。クリアじゃない。どこかドロドロと粘っている。それがオペラ。

阪さんも、イタリアオペラなんかやらないで、もっとクールなオペラや、交響曲とかやってた方がいいと思いました。あるいはもっとエスプリの効いた、人間をクールに突き放したようなフランスオペラとかが向いているのかも。イタリアオペラは、やめた方がいいと思ったぞ。ほんとに。