引き潮

昔、父が突然、一緒に晩飯を食おう、と言い出した。何事か、と思うと、見合いの話である。当時、私は確か30歳。30過ぎて結婚しない男、というのは当時でも珍しくなかったが、田舎者の父からすれば、「この息子は、どこか肉体的に欠陥があるか、あるいは、変態なんじゃないか」と、必要以上に心配していた。前者については全然的外れだし、後者については大きなお世話である。いや、私は変態じゃないぞ。誰が何と言おうとノーマルだ。そういう話じゃないだろう。すみません。

で、父が手渡そうとするお見合い相手の写真と釣書を、私は受け取るのを拒否した。当時、それなりにお付き合いしていた女性もいたし、周囲には魅力的な女性が沢山いて、自分もそれなりに女性に嫌われているわけでもなく、相手に不自由はしていない、と自分では思っていた。30過ぎたからって、そんなに女性に困っているわけじゃない。なんとかなるさ。そう父に話した。父は、「確かに、30前後っていうのは、結構モテる時期かもなぁ」と言いつつ、お見合い話については引っ込めてくれた。そしてその後に続けて曰く。

「しかしな、xx(私の名前)。確かにモテる時期もあるかもしれんが、そんな時期は長くは続かんぞ。満ちる潮もいつかは引く。潮が満ちとるうちに、決めることは決めなアカン。」

滅多に処世訓など口にしたことのない父でしたが、父が死んでから数年経った今でも、この言葉は、妙に心に残っています。何とも薄っぺらいセリフなんですが、その分、単純な真実を突いている気がするんだよなぁ。時々、「ああ、今は満ち潮だぁ」とか、「ああ、潮が引いていく」とか、自分の状況を潮目に例える習慣が、この父のセリフを聞いて以来、無意識に身についちゃってる気がするんです。

というわけで、何が言いたいか、といえば、引き潮です。あうう。先週後半あたりから、思いっきり潮が引いちゃったよ。砂浜でゴミだの腐った魚だのが腐臭を漂わせてるよ。やることなすことうまく行かんぞ。どうすりゃいいんだ。

仕事で他部署の人間が単純ミス。そのあおりを食って、非常に不愉快な思いをしたのを皮切りに、仕事がどうも上手く回らない。こっちは結構一生懸命、やるべきことをきちんとやっているのに、他の連中が足を引っ張る。実に不愉快。

土曜日には、ガレリア座の「乞食学生」の、セリフ入りの通し稽古、というのがありました。前半の練習の総仕上げになる大事な練習。大事、と思うと、例によって、気合いが全然空回り、登場のリートはボロボロ。セリフも、前半のうちは、オルレンドルフというキャラクターをつかみきれずに、自分が何をやっているのか全然整理がつかず、これまた不満だらけ。後半、少しリラックスして、若干いい音や、いいセリフ回しが、少しだけつかめた気がしましたが、終ってからどーん、と落ち込む。女房に泣き言を言ってみたり、娘に慰めてもらったり、さんざん。

その土曜日、帰宅途中に、都内で接触事故まで起こしてしまいました。不幸中の幸いで、人身事故にはならなかったのですが、これまたがっくり。

日曜日の夜、音楽監督のNくんと、コレペティのHちゃんと、またじっくり登場のリートを研究し、少し設計図を整理することが出来た気がしています。この2人との練習、というのが、自分にとっては本当にしっくりくるんです。色んな指摘がいちいち、自分の腑に落ちる。解決方法を考えやすい。すごく有難い練習パートナーです。

ここで色々と作り直したことを、きちんと体に馴染ませる作業をしなければ。そうやって地道な作業をする中で、なんとか、潮が満ちてくるといいんだがなぁ・・・、と思っていたら、今朝になって、車両保険の契約内容が思っていたのと違っていて、修理費の自己負担額が結構かさむことが判明。まだまだ潮目が変わってないぞ。頭を低くして、おとなしく、地道に過ごそう。いつかは潮も満ちてくるさ。ね、父さん。そっちの方でにやにや見てるだけじゃなくて、なんとかしてくれよ。頼むよ。