「ウェルテル」〜演奏会なのにまさしく「オペラ」〜

昨日、ガレリア座とは以前からご縁の深い大野和士さん率いる、リヨン国立劇場のオペラ・コンチェルタンテを、オーチャードホールに聞きに行く。演奏会なのに、下手なオペラ舞台よりはるかにはるかにオペラを楽しめました。
 
マスネ:歌劇「ウェルテル」全4幕(原語上演/日本語字幕付き)
オペラコンチェルタンテ<演奏会形式>

指揮:大野和士(リヨン歌劇場首席指揮者)
管弦楽:フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団
ウェルテル:ジェイムズ・ヴァレンティ(テノール
シャルロット:ケイト・オールドリッチ(メゾ・ソプラノ)
アルベール:リオネル・ロート(バリトン
大法官:アラン・ヴェルヌ(バス)
ソフィー:アンヌ=カトリーヌ・ジレ(ソプラノ)
シュミット:バンジャマン・ベルネーム(テノール
ヨハン:ナビル・スリマン (バリトン
児童合唱:東京少年少女合唱隊(児童合唱指揮:長谷川久恵)

という布陣でした。

いつものように、開場後、舞台上にピアノを置いて、大野さんのプレ・トーク。マスネがワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に強い影響を受けてこのオペラを書いたこと、各場面に現れる印象的なライトモチーフを、見事なピアノ演奏、そして時には演技も交えながら分かりやすく解説してくれます。チケット代のうちの3分の2はこのプレ・トークに払ってるようなもんだよなぁ、と思いながら聞く。この感想は、演奏会の終了後、いい意味で全く勘違いだったことが判明するんですが。

演奏会形式、ということで、かなり前、同じオーチャードで上演された、「仮面舞踏会」と同様の構成を想像していたのですが、今回ははるかに「オペラ」していました。舞台上にはオーケストラがあり、オーケストラの後方に児童合唱のためのひな段が組まれ、ソリストたちはオーケストラの前で歌う。確かに演奏会形式なのだけど、しっかりと「オペラを見た」という感想。

ソリストの方々の熱演(初役のウェルテルとアルベール以外は、全員が暗譜で、かなりしっかりした演技付)もさることながら、やっぱり音楽の力がすごい。ウェルテルの悲劇を予感させる激しい序奏から、平和なドイツの街の光景をイメージさせる優しい調べが流れると、会場全体が、ウェルテルの舞台となったドイツの地方都市(ヴェッツラーという街だそうです)の初夏の空気に包まれるような。

演奏会、という形式だから、舞台上に何もないから、逆に、音楽によって観客の想像力がものすごく掻き立てられる。音楽がすべての情景を見事に描写していく。その色彩感の豊かさ、描写力の確かさ。音楽は情景描写にとどまらず、登場人物の心情までも繊細に繊細に描き出していく。指揮台をはさんでただ立ち尽くしているだけのソリストの間に流れる視線の緊張感、通い合う心、そして、絶望。

最初の大野さんのプレトークでも説明されており、プログラムにもちゃんと書いてあるから、分かっているのに、なのに、最終幕で児童合唱がクリスマスの歌を歌いだした途端に涙が溢れる。照明効果も何もないのに、ただの平明かりなのに、雪に包まれた静かな夜の街に、突然天上から一筋の光が差してくる情景が見える。ウェルテルの魂の救済がしっかりと見える。

オペラの舞台において、「演出」が重要視される舞台が多い中で、逆に、「オペラの主役は音楽だ」ということをもう一度再認識させられた気がしました。こういう舞台もあるのだと。逆に、最近のオペラ舞台の演出に多い、過剰な読み替えや再構築の試みが顔色を失うほどに、このシンプルな舞台こそが、「ウェルテル」の本質をもっとも見事に表現しきっている、という感覚。演出なんかいらないじゃん。

というのはもちろん極論で、多分、「ウェルテル」だから可能な表現、とは思いますけどね。登場人物も少なく、スペクタクルシーンがあるわけではない緊密な心理劇、会話劇。「アイーダ」だとさすがに厳しいし、同じフランスものでも、「カルメン」や「ホフマン物語」はつらいかな、という気がする。でも、例えば「フィガロの結婚」とかだったら、下手な読み替え演出の舞台よりも、こういう形式の方がより一層「オペラ」を楽しめるかもしれないなぁ、なんて思う。

そしてもちろん、オペラというものを底の底まで知り尽くした大野さんだからできる表現だし、さらに言えば、リヨン歌劇場がやるマスネだからできる、という部分もあるんだろうな。言ってしまえばご当地もの。団員の一人ひとりの中にしっかりと根付いた流麗かつ途切れないうねりと流れ。音符のひとつひとつにいたるまで一切無駄にせず、客席に届けてくれる確かな音色。

ソリストの中では、何と言ってもシャルロット役のケイト・オールドリッチさんが素晴らしかった。美しく、かつ、シャルロットの苦悩と溢れる激情を余すところなく表現していました。ウェルテルのジェイムズ・ヴァレンティさんは、初役ということもあり、若さもあって、まだまだ伸び盛り、という感じ。しかし実にいい男。他のキャストも素晴らしく、アルベールの美声、大法官の存在感、ソフィーの可憐さから、シュミットとヨハンのキャラクターの立った小芝居まで、隅々までバランスの取れたソリスト陣。児童合唱の透明感も素晴らしかった。

ファウスト」もそうだったのだけど、ゲーテがフランスに行くと、思索的な部分が削られてただの恋愛モノになっちゃう、という印象があります。「ウェルテル」も、青年期特有の拡大した自我の中での自問自答の末に自滅していく精神、という性格が、シャルロットとウェルテルの悲恋、という構造にすりかえられてしまっている。あらら、という印象もあるのだけど、逆に、だからこそウェルテルの悲劇が分かりやすいし、意外とゲーテの原典に共通する深い宗教性が生まれてきたりする。「ファウスト」もそうだったんですけど、「ウェルテル」も、一見、神の道から外れたかに見える人物の救済の物語ですよね。不義の子を宿し、それを殺す、という罪を犯したマルガレーテと、自殺、という禁忌を犯したウェルテルは、そういう意味で、ゲーテが生み出し、フランスが育てた姉弟とも言える。「ファウスト」のラストシーンの天使の合唱と、「ウェルテル」の子供たちの合唱は、罪深き人々を分け隔てなく救済する神の調べとして共鳴する。

終演後、レセプション会場にガレリア座仲間で少しだけお邪魔して、大野さんと一緒に記念撮影。色んな方々が列をなして挨拶するのに、一人一人に明るい笑顔を向け、相手の言葉にきちんと耳を傾ける大野さん。ガレリア座の「仮面舞踏会」を指導してくださった日から、もう10年になりますけど、あの日と全く変わらない情熱と優しさと若々しさ。これからも大野さんの一挙手一投足に目が離せません。素晴らしい舞台を、本物の「オペラ」を、本当にありがとうございました。