人の練習を聞く・見る・教えること

週末、ガレリア座の「こうもり」の練習にお邪魔。色々と課題も山積している中で、スタッフも出演者もあがいている感じ。例によって、私は今回の公演については完全に部外者なので、横から見ていて好きなこと言っているだけ。当事者の方は不愉快になるかもしれないのですけど、ほんとに無責任な言い方をしてしまえば、人の練習を見ているのは、すごく勉強になります。

人が注意されている、その注意の内容も、「なるほどそうか」と思う部分はたくさんある。自分も演出を取ったりする人間ですから、演出家が注意をする手法やタイミングなどもすごく勉強になります。相手に分かるように。きちんと身につくように。演出指示というのは結局は、歌役者とのコミュニケーションですから、言い方や言うタイミング、分かりやすい説明の仕方、などがすごく大事。「なるほど、そういう言い方をするのか」、と納得しながら、すごく面白いなぁ、と思いながら聞いていました。

人のパフォーマンスを見ているのもとても勉強になります。すごく失礼な言い方なんだけど、出来ている人から学ぶことも多いけど、出来ていない人のパフォーマンスを見ていても勉強になることはすごく多い。自分の頭の中で、色んなシミュレーションができるからです。

出来ていない人を見て、何故出来ないのか、という原因を分析する。分析するだけだと、単なる批評に終わってしまうので、それを我が身に照らしてみる。自分自身が同じ場所に立たされたときに、「出来る」かどうか。出来ないとすれば、自分のどこを改善すればいいか。

自分だったら「出来る」な、と思ったとしても、さらにもう一歩踏み込んでいく分析が必要。何が「出来る」と「出来ない」を分けているのか、客観的に分析してみる。セリフの切り方、芝居の作り方、歌のフレーズ感、所作のポジション。その差を分析することで、自分自身の中で客観化して、「ここに気をつければ、パフォーマンスの質が上がるんだ」と「気づく」こと。そして、自分自身の他のパフォーマンスにおいても、その注意点を自覚し、応用すること。そういうプロセスを繰り返していくことで、さらに自分自身のパフォーマンスを研ぎ澄ましていくことができる。

ここまででも十分難しいのだけど、さらに難しいのはその先のステップ。そうやって、「出来ない」と苦しんでいる人に、「こうやれば出来るよ」という解決方法を示してあげることができるか、というステップ。演出をやったりする、と偉そうに言うからには、その段階まで踏み込んでいかないとダメ。「出来ない」と「出来る」の間の壁が見えていても、その壁を客観的に分析できていたとしても、その壁をどうやったら越えられるか、という解決方法を示してあげるのはすごく難しいこと。

壁の存在を、役者さんに自覚させる。どこが違うか、違う点を客観的に自覚してもらう。その部分を、極めて具体的なアドバイスでクリアする方法を示す。そういう段階を踏んでいくわけだけど、それぞれの段階が本当に難しい。

壁が存在していることを自覚しない人もいる。「出来てるじゃん。何がいけないの?」とぽかんとしてしまう人。「出来てないけど、出来なくて当たり前でしょ」「出来てないんだ、分かってるんだよ。オレは分かってるよ」と開き直る人。第一段階で既に大きな障害がある。「出来てないですね」と自覚して、「どうすればいいんでしょう?」と次のステップに進んでいったとしても、「ここのフレーズでの表情が違うんだ」と客観的に自覚してもらったとしても、それを変えられるか、というと、ここでも、「癖」という大きな壁が立ちはだかる。

日曜日の練習では、偉そうに色んな人に、「ここがうまくいってないよ」とか、「ここをこうしたら」なんて話をちょこちょこしたのですけど、自分で言いながら、本当にこのアドバイスがこの人に届くだろうか、というのはすごく不安でした。なんだか偉そうに色々言ってしまってごめんね。ただ、それなりに役に立つことは言っているはずなので、ちょっと意識してみるといいとは思う。アドバイスしたことは以下のようなこと。

・歌う時に、「歌い癖」の顔の表情がある。眉をひそめて困ったような顔をして、軽やかな歌を歌われても観客には届かない。ずっと同じ顔で歌い続けていると見ていてつまらない。フレーズの中で、ここは全然違う顔の表情で歌ってみよう、という場所を作ること。そうすることで、声の色も変わるし、音楽の表情にも変化が付いてくる。

・動きにキレを与えるためには、一つ一つの動作を大きくとること。歩幅を大きくするだけで違う。小さな歩幅でこちょこちょ動くより、大きな歩幅で、右、左、と自分の行く方向をきちんと計算して動く方が、よほど、「動いた」と観客に印象付けることができる。

・セリフの間を恐れないこと。相手のセリフや、相手の動作に応じてセリフを吐く場合に、その相手のセリフや、相手の動作に、自分がきちんとリアクションしている芝居を客に見せる間をとる。そうしないと、書かれたセリフをただ次々に読み上げているだけのお芝居に見えてしまう。そのためには、リアクションの基本「あいうえお」を自分のセリフの前に付けるのもいい。「冗談じゃない」だけじゃなくって「ああ?冗談じゃない!」なのか、「ええ?冗談じゃない!」なのか。そういうことを考えながらセリフを分析していくと、なぜそのセリフが出てきたのか、自分の中で動機付けができてくる。(これは実は逆もあって、相手のセリフにどんどんたたみかけていかないとテンポが悪くなってしまう場合もあるので、使っていいところをわきまえる必要あり)

非常にシビアなことを自分自身に対して言えば、純粋に、その人のパフォーマンスの質を上げたい、という思いから出たアドバイスなのか、それとも、「オレはキミが出来てないってことを知ってるよ。オレは出来るけどさ」という示威行為のような、下らない自己満足の行為に堕していないか。そういう自分自身の姿勢は、受け取る人には見透かされてしまうもの。人に何かを教えようとする時には、そういう自分の立っているポジションから自分自身を見直さねばなりません。これもまた、すごく難しいことなんです。