印象の薄い一日

毎日普通に暮らしているだけで、色んなインプットやアウトプットがあって、それをこの日記に綴っているのですが、昨日は珍しく、あんまり強烈なインプットがない日でした。それなりに色々とやってはいるのだけど、自分の中で、納得がいく、というか、ジグソーパズルのピースがぱちん、とはまるような、そういう感覚のない日。なので、だらりんと、薄い印象を重ねてみましょうか。
 
娘の幼稚園で、七五三のお祝い会。カトリックの神父さまがいらっしゃって、子供たちにメダイを下さったあと、ありがたいお話があったそうです。娘は、メダイと千歳飴をもらってご機嫌。会社に、「しとせあめまだのこってるからあげるね」というメールをくれました。

退社後、職場の飲み会で、飯田橋近辺で飲み食い。適度に酔っ払って帰宅。酔い加減のせいか、多少気分が高揚していて、しばらくベッドに入る気になれず。娘と女房にお休みを言った後、一人で、今度練習してみようかな、と思っているイタリア歌曲の楽譜を眺めたり、MDを聞いたり、乞食学生の台本を読んだりしていました。

台本を読む、といっても、目で追うだけじゃなくて、小さい声でぼそぼそ喋ってみたり、言いにくい固有名詞のさばき方を、実際に唇を動かしながら試してみたり、多少、手振りを入れて演技しながら、部屋中ウロウロとうろついてみたりするのです。脇から見てると、かなりヘンテコな様子だろうなぁ。

今朝、電車の中で、ちょっと思い立って図書館から借りてきた、チェーホフの「櫻の園」「三人姉妹」を読了。翻訳は、神西清。意外なくらい入り込めなくて苦労する。脚本を読むのには慣れているはずなんですが、ロシア人の登場人物の名前を覚えられないんです。この人、どんな人だっけ、と思い返すのが一苦労。加えて、一つ一つのセリフにも、語られている以上の意味合いが込められている気がするのだけど、その意味合いが読み取れず、これまた苦労する。シェークスピアを読んだ時にはこんな苦労はなかったんだがなぁ。すごく含蓄のある、読み込めば味のあるセリフだと思うのに、その味に到達できない苛立ち。

「三人姉妹」の方は、まだ、登場人物たちの姿が具体的に見えたのですが、「櫻の園」はほとんどお手上げ状態。これは、舞台で見た方がいいかもなぁ、と思いながら読み終えました。宝の山を前にしてすごすご引き下がるような感じで、自分の中でとても未消化です。どこかで舞台やらないかなぁ。