大田区民オペラ合唱団「ヴェルディのレクイエム」

日曜日、大田区民オペラ合唱団のヴェルレク、歌って参りました。

指揮:宮松重紀
オケ:東京シティフィル
ソプラノ:小濱妙美
アルト:菅 有実子
テノール:中鉢聰
バス:山口俊彦
会場:大田区民ホール アプリコ 大ホール

という布陣でした。
 
演奏の出来不出来については、演奏者から云々することは出来ないことではありますが、演奏者の一人としての感想を、いくつか並べてみたいと思います。

個人的には、今までの自分の歌人生の中で間違いなく、エポックメイキングな演奏会だった、と思います。ひとつの歌に対して、これだけ「密な」アプローチをした経験はない。本当に、いい経験をさせてもらいました。
 
「密な」というのには、2つ意味があります。

ひとつには、今までこの日記でも度々触れてきたのですが、これほどじっくり、譜面を読みこんだ曲はなかったんです。お恥ずかしい限りなのですが・・・そしてまた、譜面を読めば読むほど、聞けば聞くほど、毎回毎回、新しい発見がある。その発見のたびに感動がある。譜面から、こんなに感動をもらった経験、というのもなかった。それだけ、素晴らしい楽曲だった、ということなんでしょうけど、こんなに、一つの曲に惚れ込んだ、という経験もありませんでした。

演奏に際しては、こんなに素晴らしいものを、僕が見つけたこの宝物を、なんとか伝えたい、そういう渇望のような思いで歌いました。そういう経験もあまりなかった。自分の表現する音楽そのものを好きになること。そこにある宝物を届けること。自分は表現者だけれど、あくまで媒体なんだ。この日記でも何度か触れた、自分は何のために音楽をやるのか、ということについて、一つの答えを得たような、そんな演奏会でした。

そういう発見に自分を導いてくれたのは、山口ご夫妻のドラマティックなご指導、宮松先生のポイントをつかんだご指導、そして何より、女房の、「もっと譜面を見てご覧よ」というアドバイスだったと思います。素晴らしい経験をさせてもらいました。本当にありがとうございました。
 
もう一つの「密」な思い、というのは、レクイエム、という曲が「死者への祈り」であることを、これほど実感しつつ歌ったことはなかった、という思いです。自分自身の加齢、という背景もある。実際に、近親者を亡くした経験を経て、さらに、自分に子供が出来た、ということが一番大きい気がします。

子供というのは不思議なもので、生命に満ち溢れている分、すごく脆くて、常に「死」と隣り合わせなんです。子供という存在は、自分の中の生死に対する感覚を急に研ぎ澄ましたような気がします。その上に、今回の演奏会は、急遽、新潟の中越地震で亡くなられた方々に捧げられることになり、演奏会の前に、30秒の黙祷がありました。リハーサルの時点から、「Dies Irae」を歌うたびに、目の前に、阪神大震災の地獄絵図や、新潟の土砂崩れの絵図がちらついてしまう。「Dona Eis Requiem」という歌詞が、これほど自分の中で具体的なイメージを持って迫ってきたこともありませんでした。

不思議なもので、悲しい旋律の時よりも、明るい、長調の旋律の方が泣けてきてしまうんですね。アニュス・デイで、短調に転じたソロの二重唱が、合唱が加わって、ふわっと長調になった瞬間に、ぼろぼろ泣けてきてしまって困った。演奏会で泣きながら歌った、なんてのは初めての経験。でも、自分なりに、高揚する感情と、身体表現としての歌唱テクニックのバランスを、なんとか最後まで維持できたかな、という気はしています。

色んな意味で、本当に充実感のある演奏会でした。このステージに乗らせてもらえて、本当によかった。誘ってくださった山口悠紀子先生、最高のスタッフさんたち、指導者の先生方、そして、大したお手伝いにもならなかったですが、練習に行く度に、温かく迎えてくださった合唱団のみなさま、本当にありがとうございました。終演後のビールは本当に美味しかったです。また是非、どこかでご一緒させていただければ、こんなに嬉しいことはありません。

舞台っていいなぁ。ほんとに、いいなぁ。