イベントの意味

またも台風のせいで、今日、娘の幼稚園で予定されていた移動動物園が中止になってしまいました。幼稚園の園庭に囲いを作って、馬やウサギやヘビなんかも来る。昨年は娘も大喜びで、今年も楽しみにしていたんですけどね。

娘の幼稚園の運動会はなんとか開催できましたけど、近所の幼稚園の運動会は度重なる延期で、実施自体が危ぶまれているような話も聞きます。でもねぇ、幼稚園の運動会とか、幼稚園の色んなイベントというのは、他の色んなイベントとは訳が違う気がするんだなぁ。中でも、運動会ってのは、ほんとに訳が違う気がする。

幼稚園に限らず、学校行事、というのは、どこか神聖な感じがするんです。神聖という言葉がふさわしいかどうかは別として、そのイベントに参加する人たちの人生におけるエポック、というか。そういう性格がある気がする。

少し前の映画で、「櫻の園」という映画がありました。とても瑞々しく、それでいて浮いた感じのしない佳品。その一場面で、こんなのがあった。

毎年恒例になっている学園祭の「櫻の園」の上演を、生徒の不祥事を理由に中止しよう、というベテラン教師たちに対して、演劇部の顧問の若い女教師が、「皆さんには毎年のことかもしれませんが、あの子達にはこの、今年の『櫻の園』1回しかないんです」と訴える。

毎日が同じように過ぎ、毎年が同じように過ぎていく大人の世界。毎年のように訪れる春、夏、秋、冬。毎年のように入社式があり、人事異動があり、毎日のように同じような仕事があり、通勤電車がある。毎日同じような日々の繰り返しに漬かっていると、「これで最初で最後なんだ」という新鮮さ、ひたむきさを感じる機会が、本当に少なくなっていく。

小学生くらいの子供に、「今日学校どうだった?」と聞くと、「いつもと同じ」と答える、という話を、少し前に聞いて、なんとも寒々しい気分になったことがあります。子供の精神状態は大人のそれの鏡ですからねぇ。

そんな中でも、幼稚園の年中組の時の運動会、というのは一度しかない。特に、幼稚園の3歳・4歳・5歳という時期は、子供の急速な成長に合わせた、その時にしかできない競技、というのがあります。5歳の年長さんには、年中さんの「大玉転がし」なんて競技はもうできない。一生できないんです。

自分が、舞台、という表現形態にここまでのめりこんでいる一つの原因も、この「一期一会」の感覚だと思います。映画やTVなどと違い、舞台表現というのは、その日、その時の数時間以外に出会えることのない表現。ガレリア座の連中と色んな昔話をしていると、「『天国と地獄』の時には、この子はお腹にいた」とか、「『マリツァ伯爵令嬢』が終った時に結婚した」とか、自分の人生のイベントと、ガレリア座の公演とが、同じ位置で語られることがあります。ガレリア座の公演が、自分の人生を計る道標になっている。我々アマチュアにとっての舞台というのは、それだけの重みのあるものなんです。プロの方にはそういう感覚はないのかもしれませんが。

ご近所の幼稚園の運動会、ちゃんとできるといいね。4歳の時に踊るダンスは、もう二度と同じようには踊れないんだから。もっと大きくなれば、もっと上手に踊れるようになるだろうけど、4歳の時のダンスは、もう二度と踊れないんだから。