女優さんの「旬」

ものには旬の時期がある、という話は、この日記の中で、[本]の項で何度か言及しましたね。でも最近、女優さんの「旬」ってのは、大事だし、残酷なものだなぁ、と思いました。なんでそんなことを思ったのか、といえば、先日頭痛で会社を休んだときに、女房と二人して、ぼんやりと「東京ラブストーリー」の再放送を見ていたから。あ、ヒドイ話になりそうな予感。

鈴木保奈美、という女優さんは、間違いなく、この「東京ラブストーリー」で旬を迎えて、このドラマの終了とともに旬を過ぎてしまった女優さんでしたねぇ。あ、やっぱりヒドイことを言っている。というか、こういうテーマだと、どうしても「旬を過ぎてしまった女優さん」に言及せざるを得ないからさ。ヒドイ話になっちゃうんだよ。

芸能界というのは本当に厳しい世界で、旬を過ぎる、ということはもうその商品価値が失われる、ということ。商品価値のないものは捨てられるしかない。ところが、捨てられてもつぶしが効かない。他の職業に転職、といっても、あんまり行き先がない。どうすりゃいいんだ、とじたばたしている行き止まりには、田代まさしがいたりする。三田寛子が、「芸能人になっちゃったら、一生芸能人でいなきゃいけないんです」と言っていた、と、先日女房が言ってましたが、名言ですねぇ。芸能人じゃなくなった芸能人ってのは、本当に何の価値もない。でも、価値があることが幸せとは限りませんけどね。

色んな「旬」の保ち方があるようですけど、一番多いのは、自分の商品価値を変えていく「芸風変更」タイプですよね。アイドルとして登場、女優に開眼、ここまではよくあるパターン。その後が問題なんですけど、最近は、このあたりのバラエティが随分多くなってきた気がするんです。それだけ芸能界におけるニーズも多様化してきた、というか、色んなキャラクターが必要になってきた。つまり、商品のリサイクル率が高くなってきている気がする。

芸能人さんたちからすると、非常にありがたい状況だとは思うんですけどね。最も代表的なリサイクル番組が、「あの人は今」タイプの番組だったわけだけど、最近の杉田かおるの仕事ぶりとかを見ていると、色んなリサイクル方法があるんだなぁ。松平健に至ってはマツケンサンバだもんなぁ。ガッツ伝説、というのも一種のリサイクルだと思う。こういったリサイクルの元祖といえば、やっぱり美川憲一さんだと思うんだけど、これだけリサイクル率が上がっている現在においても、女優さん、というのはやっぱり、なかなかリサイクルが難しい素材だと思います。

よく、俳優さんというのは、年を取ったら年寄りの役、ということで続けられる、なんて言う人がいましたけど、女優さん、というのは違う気がするんですね。おばさん役ができる女優さんと、どうやっても元アイドル、とか、元美人女優、としか見えない女優さんがいる。元美人女優さんにしか見えない人には、おばさんの役はできないんです。年を取ったらその時々の輝きがある、なんてのはウソです。その人が最も輝いて見える時期というのがある。もし、ある人が、その年なりの輝きを持っているとしたら、その背後には、その輝きを維持するためのすごい努力があるはずなんです。

以前、原田知世さんが、「いつまでも変わらないね、と言われる、吉永小百合さんみたいな女優さんになりたい」と言っていたのを聞いたことがあります。でも実は、これって、私は登山家としてヒマラヤには必ず登ります、と言っているようなもんで、すごい決意表明だと思う。ある一つの路線で、ずっと変わらずにいく、というのは、ほんとに難しい。そういう変わらない自分を維持するための努力。森光子さんや八千草薫さん、大原麗子さんとか、同じ輝きを維持しつづけている女優さんを見ると、その裏にある大変な努力に頭が下がります。そういう努力を維持できないと、結局は捨てられてしまうしかない。もちろん、幸せかどうか、というのは別問題ですけど。鈴木保奈美さんも、石橋くんと幸せにやっているようだし。

しかし、「東京ラブストーリー」ってのはほんとに懐かしいなぁ。先日見ていたときにも、「みんなこんなコート着てたよなぁ」とか、「こんなシーンあったなぁ」とか、女房とわいわい言いながら見てました。TV番組の再放送、というのは、なんともこっぱずかしい自分の青春時代を目の前に見せられているようで、照れくさいやら恥ずかしいやら、不思議な気分になりますねぇ。