池澤夏樹さんという人

今朝、図書館で借りた、池澤夏樹さんの「タマリンドの木」を読みながら出社。いい。電車を降りるために、本を閉じるのがもったいなくなる感覚。次の展開に進むのが惜しくて、そのページに留まっていたくて、本を閉じてしまって余韻に浸りたくなる感覚。そんな矛盾する感覚で頭の中にくるくる渦が巻くような気分になります。「粘土に銀貨を押したような」なんて表現に出会うと、もうわくわくしてしまう。

池澤夏樹さん、という方には、不思議な出会い方をしています。最初に認識したのは、大学時代の合唱団で、木下牧子の「ティオの夜の旅」を取り上げたのです。池澤夏樹さんの「塩の道」という詩集からの5つの詩に曲をつけた合唱曲。我々の世代の大学合唱団は、必ず耳にするか、歌ったことのある名曲です。この詩の日本語がすごく新鮮だった。手元にテキストはないのですが、今でも心に残っている言葉がいくつもあります。「夏の朝の成層圏」「海が神だとは思わない」「夜の間に夢を集めて回る」「人の目が見ていなくても風景はあるものだろうか」・・・シンプルで、決して難解でない言葉たちが、美しくも微妙な色合いの織物のように綴られていく。そしてその日本語の響きを見事につなぎ合わせ、重ね合わせていく、木下牧子の美しいメロディーと、リズム。この出会いには相当興奮しました。

その後、池澤さんのことは、どこかにひっかかりがありながら、さほど意識せずに暮らしていました。数年後に、大好きな映画作家の作品を、深夜に集中放送する、というので、大喜びで録画し、再生して見ていました。番組の冒頭で、映画作家の紹介コーナーがあり、アナウンサーとコメンテーターが並んで話している。そのコメンテーターが、池澤夏樹さんでした。聞けば、その映画作家の作品の全ての字幕を、池澤さんが担当しているという。ここで驚愕。

映画作家の名は、テオ・アンゲロプロス。大学に入ったとき、とにかくいい映画を沢山見たい!と思って、近所の名画座に、「旅芸人の記録」を見に行きました。ものすごい衝撃を受けました。映画って、こんなことができるのか、という衝撃。以来、アンゲロプロスの作品を何本か見ていたのですが、字幕を池澤さんが担当している、というのは全然気付かなかった。「ティオ」で池澤さんの名前を知る、数年前に、それとは知らずに池澤さんに出会っていたんですね。「ティオ」は私にとっては、池澤さんとの2度目の出会いだったわけです。

その後、「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞された、と聞いて、なんとなく嬉しかったのですが、作品そのものには手が出なかったのです。「ティオ」の歌詞は美しいのですが難解でしたし、芥川賞、ということだと、まっすぐな純文学、という感じがして、敷居が高い印象があったんですね。

で、書店で偶然、「南の島のティオ」に出会います。3度目の出会いも、ティオくんが仲立ちしてくれました。池澤夏樹さんがティオの話を書いている、となれば、これは読まねば!と読んでみて、もう純粋に感動してしまった。

ジュブナイル、ということで、言葉も平易なのですが、場景の描写には、池澤さんらしい客観的な、どこかハードボイルドな感じすらする乾いた感じがあります。その感じのおかげで、このティオの島が、確かにこの地上に存在している、という、確信にも似た感覚が構築される。そのリアル感の中で語られる不思議な世界。どこかユーモラスでありながら、恐怖感も感じさせる南の島の神々たち。どの短編も面白くて、怖くて、切なくて、わくわくしながら読みました。純文学?全然違うじゃん。ほんとに楽しいエンターテイメント。

で、最近は結構追いかけ始めています。「スティル・ライフ」のガラス箱の中のような硬質な世界。「真昼のプリニウス」の期待感。中でも、「マシアス・ギリの失脚」は最高に楽しかった。同じような神話世界を描いても、大江健三郎の「同時代ゲーム」の難解さとは全然違う。それでいて、描かれている神話世界の深さ、圧倒的な存在感には、同じくらいの量感があります。それでいて、全編に流れるなんともいえないユーモア。バスのエピソードなんか、最高。

先日は、「インパラは転ばない」という紀行文集を読んだのですが、これもよかった。しかし、この人はいったいどういう人なんだ。福永武彦さんの息子だっていうし、北海道生まれのギリシャ育ち、世界中旅しているかと思えば、アンゲロプロスの字幕の仕事もしているし、詩人だし、小説家だし、沖縄に住んでるし(最近はフランスらしい)、娘さんは声優さんだし(ハム太郎のロコちゃん役)、理系の大学出てるし、経歴謎だらけ。今後も追いかけたい作家なのですが、いったいどこに連れて行ってくれるんでしょう。マシアス・ギリの島のバスに乗せられた気分で、今からわくわくしています。