「すばらしい新世界」〜文明論的予言小説〜

池澤夏樹さんの諸作品はなるべく追いかけるようにしているんですが、先日立ち寄った図書館で、「すばらしい新世界」を借り出す。二つの意味で、優れた文明論的予言小説、と読みました。

解説にも書かれていたのだけど、タイトル自体が、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」を意識している。ハクスリーのこの本は読んでいないのだけど、機械文明の発達の先にある悲観的な未来を描いた、という点で、ジョージ・オーウェルの「1984年」とならぶディストピア小説の傑作なんだそうです。つまりは、池澤さん自身が、「文明論的予言小説」として意識しながらこのお話を書いていることが、タイトルではっきり明示されている。

実際、この小説は、非常に大きな部分を、池澤さんご自身の「文明論」の記述に割いている。作家自身が物語に解説を加える部分がたびたび出てきて、そこでははっきりと、池澤さん自身が一人称で自分の文明論を語る。登場人物、特に、主人公とその細君が交わす会話の中でも、非常に積極的に、「理想的な文明とは」という問いかけがなされ続けている。

日本という、極めて発達した物質文明の只中にいる主人公たちが触れるのは、「途上国」という侮辱的な名前で呼ばれながら、物欲の充実以外の充実感と幸福に満たされた、ヒマラヤ近辺の土地。池澤さんと主人公たちは、我々日本人がヒマラヤ近辺の土地のような生活に戻ることはできない、と結論付けながら、どこかに、自然と人が共生できる「すばらしい新世界」はないだろうか、と問いかけ続ける。そういう意味では、池澤さんの作品群の中では、小説、というより、「母なる自然のおっぱい」のようなエッセーに近い感覚がある。「マチアス・ギリの失脚」とか「花を運ぶ妹」のような、めくるめく物語世界を期待すると、間違うかな、と思います。もちろん、池澤さんらしい小説的な興奮も随所にちりばめてあって、現地の母なる意識との交わりや、地霊に引き止められる父を、少年が救出するくだりなど、物語としても十分に楽しめるようになっている。エンターテイメントと文明論がしっくり融合しているところが、職人的に上手だなぁ、と思います。誰かがネット上で、「文学界のイチロー」と呼んでいて、上手い!と思った。

テーマとしては、2004年に書かれた「静かな大地」と共通しているところがあると思うのですけど、「静かな大地」が、アイヌという民族の運命に仮託して、自然との共生という「すばらしい世界」が根こそぎ破壊されていくことへの強烈な怒りと抗議を表明していたのに比べて、「すばらしい新世界」では、自然から無理なくエネルギーをもらいながら共生していく未来世界の提案、という希望が持てる内容になっている。楽観的すぎる、という人もいるかもしれないけど、池澤さんには、基本的に読者を心地よくさせようというサービス精神のようなものが常にある気がしていて、そういう明るい道筋をなんとか示そうとしてくれている気がします。そう思うと、「すばらしい新世界」を2000年に書いた池澤さんが、2004年になって「静かな大地」を書かれた・・・ということは、そんな池澤さんですら、将来に希望を持てなくなってきた・・・という悲しい現実を示している気もするのですけど。

そういう文明論的な側面と合わせて、「1984年」などの先人のディストピア小説同様、「すばらしい新世界」は予言小説としての性格も持ち合わせている。この本には、風力発電の将来像として、大規模発電所からエネルギーを分配する中央集権型から、個々人の家庭での太陽光や風力による発電エネルギーを全体で分配したり蓄積したりする分散型社会への転換、といった姿が描かれるのですが、2009年現在、その予言が実現に向けて大きく動き出していることに驚きます。そういう意味で、この本は、近未来予言小説、という性格も持っている。自分の娘が大人になった頃には、こういう分散型社会がどこまで実現しているかなぁ、と思いながら読みました。