読み漁った本のこと その3

台風の影響はまだあるようで、今朝の会社の近辺はすごい風でした。北海道や東北の方の被害が少ないといいのですが。

さて、以前、夢見るひげ男を生み出した中学・高校時代の読書体験について綴りましたけど、その後、高校生後半から、大学生、現在に至るところで、のめりこんだ何人かの作家について書きたいと思います。一つの作品に感動する、ということは頻繁にあるのですが、その作家の作品を片っ端から読みたくなる、という気分になった作家、ということで、何人かをピックアップしてみました。
 
村上春樹
すみません。いや、いきなり謝ることはないんだよね。ごめんなさい。また謝っちゃうよ。しょうがないじゃん。やっぱり、我々の世代は、彼から逃れることはできないんですよ。誰もが必ず通過した作家。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の3部作は、もうくらくらするぐらいに読み込みました。「ダンス・ダンス・ダンス」や、「ノルウェイの森」あたりは、もう何がいいんだか分からなくなっていましたけど、初期の短編集「蛍・納屋を焼く」あたりも印象が強いです。ああいう文体というのはどうにも侵食力が強いんですよね。村上春樹もどきの文体で、短編小説や長編小説をいくつか書いたりしました。でも、どうやっても、「もどき」にしかならない。
作家には、旬の時期、というのが厳然とあるんだなぁ、というのも感じます。「ダンス・ダンス・ダンス」で、ああ、村上春樹さんには、もうかつてのエッジの効いた小説は書けなくなっちゃったんだなぁ、と、すごく寂しい思いをしたのを覚えています。もちろん、作家が、様々なアプローチを経て作風を変えていく、というのは当然のことですし、そうやって作風を変えていっても、本質的なところは変化せずに、常に一流で居つづけているというのは、すごい作家だと思うのですが、でも、やっぱり昔の村上春樹さんの作品が好きだぁ。「羊をめぐる冒険」のめくるめく探索の世界とセンチメンタリズム、「ハードボイルド・ワンダーランド」の鉛色の世界観。私の中にあった、小説というものの持つ可能性を大きく広げてくれた作家。
 
レイモンド・チャンドラー
推理小説、というジャンルも結構好きで、乱読していたのですが、のめりこんだのはやっぱりチャンドラー。最初の出会いが、「長いお別れ」だったのは、最高の出会いだったと思います。めくるページめくるページ、どのページにも必ず現れる新鮮な言葉たち。描写されている情景の裏で、ゆっくりと進んでいく物語。その物語の真相が一気に明らかになるクライマックスの衝撃。そして、余韻というには余りにも重く、苦い結末。
ボリュームが手軽な割に、感動が大きい、という点で、「さらば愛しき女よ」も大好きです。大鹿マロイがとにかく切なくて、ラストシーンではどうにもうるうるしてしまう。
ハードボイルド、と言いながら、その底流にあるヒューマニズム、センチメンタリズムが魅力的なんですね。表に出てこないから、余計にぐぐっと腹にこたえる。内側が充実していないと、いくら外側だけを真似しても、「もどき」にしかならないんだよなぁ。
 
隆慶一郎
吉原御免状」で、いいなぁ、と思って、出版されている文庫本はほとんど全部読みました。何かって言うと殺す犯すと、なんともエッチで殺伐とした話なんですが、極端なまでに超人化された侍たちが、自分の生き様を貫いていく姿は、なんとも熱くて高揚感があります。中世の遊行・放浪の民に焦点をあてることで、従来の時代観を組替える視点も新鮮。ただ、小説、というよりも、劇画を楽しむような感覚で読みました。「花の慶次」という漫画になったように、非常に劇画的なんですね。登場人物の超人ぶりといい。実際、隆さんご自身、もともとはシナリオライターとしてご活躍されていた方ですから、文章が映像的になるのは当然なんでしょう。「城盗り」という、石原裕次郎が主演していた映画のシナリオを書いてらっしゃいますが、実にさわやかな面白い映画でした。そういう映画的な感覚がありますね。
 
藤沢周平
隆慶一郎で、時代小説ってのもいいなぁ、と思い、池波正太郎の「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人梅安」を読み進めていた時に、藤沢周平さんが逝去されました。書店で特集を組んだりしていたので、何気なく手に取ったのが、「用心棒日月抄」。これは幸福な出会いだったと思います。以降すっかりのめり込み、主だった作品は全て読破しました。
ヘンな言い方ですが、藤沢さんの小説の登場人物って、ひどく生活臭い感じがするんですね。その人が食べているものの匂いがするような感じ。米の匂いとか、味噌汁の匂い。着ている衣服の汗臭い匂い。そういう匂いが漂ってくるような感じがする。それを「リアリティ」という言葉でくくってしまうと、何か違う気がする。もっと、泥臭い感じ。
うちの女房とかは、藤沢周平さんの小説は、「貧乏臭い感じが馴染めない」と言います。同じ時代ものでも、宮部みゆきさんの小説の洒落っ気からは遠い。長屋の場景を描いても、宮部さんの長屋がどこか洒脱な感じで、べらんめえのおかみさん達がきゃっきゃとおしゃべりしている感じなのに、藤沢さんの長屋の場景では、まず土埃や、泥、そこに漂う汚物の匂い、人いきれ、といった、空気のようなものが伝わってくる感じがします。
この二人の作家の差、というのは、「東北出身の方が描く江戸の話」と、「深川出身の方が描く江戸の話」の差なのかもしれません。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズが描く下町の情景は、「洒落てない」、つまり、地方出身者が見た東京下町の場景だ、といった人がいました。面白いなぁ、と思って聞いたのですが、その山田洋次さんが、藤沢周平作品で映画を撮っている、というのはさらに面白いですよねぇ。
藤沢さんの作品の重厚さ、そうでありながら、ストーリーテラーとしても一級で、娯楽性も十分に高い小説世界。何度読み返しても、ふっと涙が出てくるような味わい深い短編の数々。いいなぁ。