夏の終わり

昨日、アテネオリンピックの閉会式の映像を見ていての、4歳の娘との会話。

「へいかいしき、って、なに?」
「これでおしまいっていうお祭りだよ。」
「あてね、もうやらないの?」
「もう終わりなの。」
「おりんぴっく、おわりなの?おわるのやだぁ(泣)」

台風がいくつか通りすぎて、いきなり、夏が終ったなぁ、と思う日が、昔ははっきりあった気がします。最近は、なんだか天候不順で、妙な涼しさや、蒸し暑さが交互に現れたりしますけど、昔は、突然空がすうっと高くなって、空気が急に軽くなるような、そんな日があった。夏が終った、と実感する日。とても爽やかなんだけど、なんとも寂しくて、ため息なんかついてみたくなる、そんな日。

アテネオリンピックの終わり、と、この夏の終わりの感覚が、4歳の娘の中で、微妙に重なっているような感じがします。「なんでおわっちゃうの!?」と、娘はぷんぷん怒りながら、ぐずぐず泣いている。どんなことにだって、終わりがあるんだよ、となだめるけど、どこまで分かってくれるでしょうか。

子供の成長を見ていると、こうやって色んなことに目覚めていくんだなぁ、と、時々感心することがあります。この夏、娘は色んなことを学びました。一番大きかったのは、「死」ということに、子供なりに直面したことかもしれません。どんな楽しいことにだって終わりがある。さぁ、おうちに帰りましょう、と言われて、天井からするすると落っこちてしまう、メリー・ポピンズの子供たちのよう。何かが終ることの喪失感、空虚感は、4歳の小さな心の中では、きっと、天地が突然真っ暗になったような、大事件なんでしょうね。

どんな楽しいことにだって終わりはあるけれど、どんな悲しいことにだって終わりがある。なるべくなら、悲しいことにはあんまり出会ってほしくはないけれど、そんなわけにはいかないね。でも悲しい気持ちで涙が流れるのは幸せなことだ。悲しいことに出会っても、もう涙も流れなくなってしまった人たちも、世の中には確かにいるんだから。

今朝の娘は機嫌を直して、いつもより随分早起きしました。ピアノの先生のお宅にお邪魔して、グランドピアノを弾かせてもらうのです。楽しいことがいっぱいいっぱい、悲しいことはほんのちょっぴり。この子のこれからの長い年月が、そんな風でありますように。