練習を重ねていると、どうにも突破できそうにないような、巨大な壁が立ちはだかる時があります。壁の形状には色んなものがあります。ぼやん、として、霧みたいな壁。そこにあることが以前から分かっているんだけど、やっぱり越えられない、がっしりとした、厳然とした壁。かと思うと、孫悟空が落書きをした、お釈迦様の手の指のように、突然自分の未熟さに気付いて愕然となるような、巨大な壁。

この週末は、そんな様々な壁にぶつかったような気がしています。とにかく乗り越えていくしかないんだけど、それぞれ、克服するのは中々に厄介な壁です。
 
まず、蔵コンでは、霧みたいな壁に突き当たったような気が、個人的にはしています。一つのコンサートを煮詰めて煮詰めて作っていくと、どこかで、「何かが違うんだけど、どう変えればいいのかよく分からない」という時期にぶち当たる時があります。そんな感じかなぁ。もう少しなんとかした方がいい気がするんだけど、どうすればいいのか、今ひとつ分からない。そういう細かい箇所が、虫食いの穴のように、所々にぽつぽつとあって、全体の流れが妙にギクシャクする感じがある。
「どこが」と言えなくて、単にノリの問題のような気もする。ちょっと緊張感が抜けて、だれているだけなのかもしれない。来週は帰省で練習がお休みなので、きっちり頭のなかでのイメージトレーニングを続けて、緊張感を切らないようにしないと。
 
厳然とした壁に突き当たってしまったのは、ガレリア座の練習です。今回、ミレッカーのオペレッタ「乞食学生」という演目で、オルレンドルフ大佐、という、主人公の敵役をもらいました。開幕早々、この大佐の登場の歌として、かなり大きなリートがあります。日曜日、この曲のオーケストラ練習にお付き合いしました。
楽譜を見たときから、嫌な感じがしたのですが、この歌、全体に音域が高いのです。オペレッタバリトンの歌にはありがちなのですが、バリトンといっても、かなり高い音域が要求されます。この歌でも、C以上の音をクリアに、しかもソフトに鳴らさないといけない部分が沢山ある。きついだろうなぁ、と思って歌ってみたら、案の定、無茶苦茶きつい。途中で腹筋がもたなくなって、最後はへろへろ。予想していたとはいえ、これを冒頭に歌わないといけない、というのは厳しいなぁ・・・
 
巨大な壁を感じたのは、カルメンの「闘牛士の歌」でした。日曜日、蔵コンに行く車の中で、家で偶然発見したオペラアリア集のCDをかけていたのですが、このCDに収録されている「闘牛士の歌」が素晴らしく、なんだか打ちのめされてしまった。まず、テンポがすごくゆったりしていて、荘厳な感じすらする。前半部分の歌唱はどこまでもかっこよく、バリバリとした芯のある響き。これをゆったりと、マエストーソでガンガン聴かせる。まさに王者のような、風格のあるトレアドール
ところが、後半、恋に生きる闘牛士のくだりになると、声がすごくソフトで、甘くなる。ロマンティックな響きにがらりと変わる。一体何なんだ、この色合いの変化は。前半の響きもすごいけど、この甘い美声もどきどきもの。誰だよ、と思ってクレジットをみたら、カプッチルリでした。納得。
 
壁を感じる、というのは、プラス思考で考えれば、自分の現状に満足せず、前に進む意欲につながることでもあります。克服するには、とにかく地道に、歌いつづけるしかない。近道なんかない。一つ壁を克服した時の達成感は最高なんだけど、壁を一つ越えれば、次の壁がそびえている。壁はどこまでもどこまでも続くんです。

・・・なんて因果な趣味を持っちゃったんだか。ま、行ける所まで行ってみましょう。