新国立の「カルメン」

昨夜は新国立劇場に「カルメン」を見に行きました。何かオペラが見たいなぁ、と思ったときに、すぐに一級のパフォーマンスが見られる、というのは本当にありがたい。新国立劇場ができる前は考えられなかったことですよね。

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<スタッフ>
指揮 :沼尻竜典 演出 :マウリツィオ・ディ・マッティー
演出補 :久恒秀典 装置・衣裳 :ジュゼッペ・クリゾリーニ・マラテスタ
振付 :マリアーノ・ブランカッチョ 照明 :磯野睦 舞台監督 :齋藤美穂

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<キャスト>
カルメン :ナンシー・ファビオラ・エッレラ ドン・ホセ :ヒュー・スミス
エスカミーリョ :チェスター・パットン
カエラ :大村博美 スニガ :長谷川顯 モラレス :青山貴
ダンカイロ :今尾滋 レメンダード :市川和彦 フラスキータ :大西恵代
メルセデス片桐仁

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という布陣でした。
 

申し訳ない言い方ですが、全体的に、インパクトの少ない舞台でしたね。「ぬるい」印象。もちろん、大きな破綻があるわけでもなく、大きな不満があるわけでもなく、「これはいただけない」という嫌悪感もないのですが、かといって、「これはすごい、素晴らしい!」というのもない。このぬるさは何かなぁ。
素晴らしい舞台、というのは、何かしら、「圧倒される瞬間」というか、舞台の一点にぎゅうっと吸い込まれていくような、そんな瞬間があるものだと思うんですが、残念ながらそういう瞬間があんまりなかった。カルメンには存在感があり、フレーズ感も十分なのですが、声が少し細く、メゾソプラノの圧倒感がちょっと弱い。ドン・ホセの高音の表現力は素晴らしく、「花の歌」も見事で、演技的にも素晴らしかったのですが、中音域で時々、やけにぞんざいな音がすることがあり、フランス音楽らしいどこまでもどこまでも流れていくフレーズ感が失速する。合唱陣は、杉並児童合唱団も含めて、上手なんですけど、スペイン・ラテンの荒々しさが感じられない。ドイツの教会合唱団が無理して演じているような感じ。東フィルの演奏も、破綻なくまとめました、という感じで、血気あふれる感じはしない。
とはいえ、みなさんとても端正に演じてらっしゃるので、ある意味、教科書のようなカルメンでした。そう思ったら、高校生のためのオペラ教室、ということで、同じ公演を別のキャストで上演するんですね。まさに教科書やんか。
 
そんな中で、エスカミーリョのチェスター・パットンさんと、ミカエラの大村博美さんが、ちょっと抜きん出ていました。パットンさんは、同じ人間とは思えないプロポーションの持ち主。2メートル近いんじゃないかな。長身の上、顔が小さくて、手足が無茶苦茶長い。しかも身のこなしがシャープ。陸上選手の、それも短距離選手、という感じ。オペラ界のカール・ルイスですか。
声的には、少しぼわっとした声で、個人的にはもっと響きが集まっているバスの方が好きですが、そういう好みを差し引いても、圧倒感のある素晴らしい声。しかも高音域になると、見事な「バスの高音」が出てきて、フレーズ感も完璧。最上級のテクニックを聞かせてくれました。
4幕で、闘牛場に登場するとき、他の闘牛士たちは当然、ダンサーが演じるのですが、身のこなし、と言う意味ではプロのダンサーの方々の後に、パットンさんがマタドールの扮装で現れると、会場が一瞬どよめきました。プロのダンサーの闘牛士よりよっぽどかっこいい闘牛士。これがまたすごい声で歌う。どうなってるんだ。
 
さきほど、舞台の一点にぎゅうっと吸い込まれていく感覚が少なかった、と書きましたが、数少ないその瞬間を作ってくれたのが、ミカエラの大村博美さんでした。声的には、ヘタするとカルメンより重い声じゃないか、と思うようなボリューム感のある声。軸がぶれず、高音域になっても響きが散らない。3幕で、密輸人のアジトに行く時のアリアは、本当に集中しました。この歌、こんなにいい歌だったんだ、と改めて思いましたね。新国立劇場デビューだそうですが、今後の活躍が楽しみです。ミカエラよりも、椿姫とかの方が合ってるかもしれない、と思いました。
 
カエラエスカミーリョに存在感があると、ドン・ホセのドラマが明確になりますね。ミカエラの存在が一途で純朴であればあるほど、ドン・ホセのいた世界の平穏さが際立つ。エスカミーリョがかっこよければかっこいいほど、ドン・ホセの嫉妬が明確になる。「教科書のようなカルメン」という印象は、ある意味、ドン・ホセを巡るドラマが非常に明確で、分かりやすかった、ということでもあります。そういう意味では、非常に完成度の高い舞台だったと思いました。