身体表現としての京劇

やっと京劇の感想に入ります。長いよ。すみません。
見た演目は、「秋江」と「虹橋贈珠」という2つの演目。観光客向け、ということで、アクションシーンの多い、分かりやすい演目が多いのが梨園劇場の特徴だそうです。
まず、開幕前に、幕前に若者が出てきて、英語で、京劇の基本的な表現について説明します。幕が開くと、楽団が並んで、一曲演奏。胡弓のような弦楽器が、低弦から高弦まで、大体5〜6人くらい。管楽器が4人くらい。各種の打楽器が5人くらい、総勢で15名程度の楽団です。これが一曲演奏すると、幕が閉じます。
幕が開くと、楽団は上手袖に集まっており、舞台上には何もない。ほんとに何にもありません。小道具も大道具もない。ただの平場です。後ろの幕に風景がかかれている、なんてこともない。要するに、舞台道具は本当に何一つない。そこに、下手から娘役の俳優が出てきて、あの独特の発声でセリフを言い、お芝居が始まります。
「秋江」は、追放されてしまった恋人を小舟で追いかけようとする娘と老船頭のやりとりを中心にした演目。二人のやりとりと、息のあった動きで、川を行く小舟の動きをどう観客に伝えるか、というのが眼目だそうです。乗り移った船頭の重みで、ゆらゆらと揺れる小舟の動きを、二人がシーソーのように上体を上下に揺らすことで表現する。波に翻弄される動きや、舟が向きを変える様子など、計算された細やかな動きが続きます。そして常に流れるあの不思議な発声のセリフと歌。
使われているのは、船頭が使う竿と櫂だけ。それ以外の道具は一切ない、全てがユーモラスなパントマイムなんですが、見事に舟が見えてくる。加えて、恋人を追う娘の浮き立つような想いや、それをからかう老船頭との滑稽なやりとりなど、字幕やイヤホンの助けを借りなくても声の色で十分伝わってきて、実に面白かった。
後半は、「虹橋贈珠」。川の精が若者と恋をする、それが天帝の意に添わないということで、川の軍と天の軍の戦争になるが、若者に贈られた全ての願いをかなえる珠の威力で、天の軍は敗れ、川の精と若者の恋が成就する、というお話。お話なんかあってないようなもので、中心になるのは、川の軍と天の軍との戦い、つまり立ち回りです。中国で立ち回り、つまりアクションのことを「打」というようですが、これがとにかく派手で楽しい。舞台の中央で連続宙返り(一人で20秒くらいずっとくるくる回っていたりします)、飛ぶわ跳ねるわ回るは大騒ぎ。最大の見所は、川の精が、天軍の兵士の投げつける槍を次々に蹴り返していくシークエンス。「出手」というアクションだそうですが、10本の槍が次々に宙に舞い、正確に投げ手の手元に戻ってくる様は圧巻です。
Chinese Operaと言いますけど、オペラとは全然違うもの。つまり、声ではなく、あくまで身体が中心になった表現なんですね。勿論、京劇には、歌やセリフのやりとりを中心にした演目もあるようなのですが、基本は身体だから、舞台上に余計な道具とかがない方がいい。体操の床運動とか、チアリーディングなんかのパフォーマンスに近い気がしました。セリフと歌と物語付きの中国雑技団?
こういうパフォーマンスを生む国だから、カンフー映画があり、最近の武侠映画が生まれるんだなぁ、と妙に納得。とにかく、どれだけ体が動くか、というのが、俳優表現の基本なんですね。そういう意味でも、セリフ回し、身体表現、舞台道具のケレンなど、舞台技術全般で勝負する日本の歌舞伎ともまったく異質なもの。確かに、隈取りや見得、鳴り物といった共通の文法はありますけど、全然違うなぁ、と思いながら見ていました。
もう一つ不思議だったのは、ヒロイン役の俳優の目です。隈取りの技術のせいか、と思うのですが、目がガラスのようにきらきら光って見える。連続アクションを見事に決めた後で、この目で、きりっと見得を張られると、思わず、「好(ハオ)!」と声をかけて拍手をしたくなる。
舞台を彩るのは、あくまで俳優。ですから、衣装や、手に持つ小道具などは実にきれいなんですが、舞台自体は結構簡素なもの。幕を引くおじさんは普通の半そでシャツを着ているし、舞台袖に退場した役者さんがかつらを取って奥に引っ込む様子とかも丸見え。あげくには、バックステージツアーらしい観光客が袖から舞台を見ている様子まで見えている。ある意味「ボロ」を出しつつも、圧倒的な身体表現を見せられてしまうと、全部納得させられてしまうような、そんな感じがありました。色んな舞台があるし、色んな感動がある。舞台って、ほんとに面白いです。