今日は、NJのテナフライというところにある教会で、合唱団の歌いおさめの演奏会。そのあと、マンハッタンに出て、METの「ボエーム」を見てきました。あのゼフィレッリのプロダクションをMETの舞台で見るのは初めて。そりゃあもう期待に胸ふくらませて行きました。
指揮:Roberto Rizzi Brignoli
マルチェッロ:Fabio Capitanucci
ロドルフォ:Joseph Calleja
ミミ:Krassimira Stoyanova
ムゼッタ:Ellie Dehn
コリーネ:Gynther Groissboeck
ショナール:Dimitris Tiliakos
という布陣。
私が知らないだけなのかもしれないですが、出演者の顔触れと、声のボリュームとかを聞いていて、非常にフレッシュな印象を受けました。ゼフィレッリが何かの番組で、「ボエームというのは、一人の歌い手の突出した力量を必要としない、若い歌手にもチャレンジできる演目なんです」とおっしゃっていたのを聞いたことがあるのですが、そんなことを思い出すような、実に若々しい歌い手たち。
その若々しい歌い手たちを包み込む舞台装置の素晴らしいこと。METの舞台の天井の高さと奥行きの深さが、ゼフィレッリの舞台装置の魅力を十二分に発揮している。2幕の幕が開いた時には拍手がしばらく鳴りやまない。舞台上に、パリの街の一角が完全に表現されている。それも、4階建て、5階建てのアパートメントが舞台の奥に立ち並んでいるんです。そりゃあもう興奮しました。
でもそれだけじゃない。この舞台装置は恐ろしく豪華なのに、とにかく寒いんです。ボエームって冬の話なんだなぁ、とこんなに実感したことはない。3幕の雪景色だけじゃなく、2幕の人にあふれたパリの街並みも、どこか冷え切った冬の空気に包まれている。なぜか、と思えば、やっぱり天井の高さ。舞台に人が満ちていても、その上をパリの冬の暗い空が覆っていて、その冷たい空に向かって、人々の熱気が沸き上がっていくのが見えるような。
1幕と4幕の屋根裏部屋のシーンも、連なるパリの屋根の上を寒々とした空気がつつんでいる、その空気の中にぽっかりと浮かんだ小さな小舟のように頼りない。ミミの体をむしばみ、若者たちの夢を削り取っていく寒さ=貧しさ。舞台の上には道具が満ちていて、決して空虚なわけではないのに、じんわりと足元から忍び寄ってくるような、寒い空気。
その中で身を寄せ合い、お互いのぬくもりだけを信じて集う若者たち。ボエームの本舞台を見るのは2度目ですが、いわゆるゼフィレッリの舞台は何度もDVDで見ています。それでもやっぱり、この本舞台ほど泣けた舞台はなかったなぁ。
1月には、あのザルツブルグの「椿姫」のプロダクションをやるっていうし、2月にはデセイのランメルモールのルチアをやるっていうし、なんだか毎月1回はMETに通っている感じ。シーズンチケットを買いたい気分なんだけど、日程がそんなに早く固められないしなぁ。
てなわけで、まだまだMET通いは続きます。またレポートしますね。