忘れられない舞台裏

週末は、夏の演奏会の準備で、楽譜のコピー・発送業務。それに、2月のガラ・コンサートの写真注文枚数のとりまとめ。さらに、山口俊彦先生のリサイタルの確認事項について、山口悠紀子先生と電話連絡・・・と、舞台裏の運営仕事。さらに、夏の演奏会で自分が歌う「闘牛士の歌」の歌詞の発音を確認して、通勤電車の中でチェックできるアンチョコを作ったり・・・舞台を一つ作りあげるには、こういう裏の仕事が欠かせません。

舞台裏、と言う言葉は二重の意味を持っていて、中々いい言葉だなぁ、と思います。スポットライトを浴びてお客様の目に触れる舞台の、まさに物理的な「裏側」、という意味と、その舞台裏で展開される、お客様の目には決して触れない、触れてはいけない作業や段取り、準備のこと。ガレリア座、というところは、出演者がみんな舞台裏の作業もこなしている自転車操業の団体ですし、ステマネという仕事を何度かやっているおかげで、他の団体の「舞台裏」や、色んな会場の「舞台裏」を色々と見てきました。

でも、その中でも、自分でも自慢できる「舞台裏」を探訪したことがあります。日本でもここを見たことがある人ってのは、そう沢山はいないんじゃないかな・・・なんと、アルゼンチンのブエノスアイレスにある、「コロン劇場」のバックステージツアーに行ったことがあるんです。この経験は強烈で、今でも鮮烈に覚えています。

もう5〜6年くらい前になりますが、会社の仕事で、南米担当になり、半年に一度は南米に出張していた時期がありました。たまたま出張時期が週末に重なり、週末をブエノスアイレスで過ごすことができたんですね。
ブエノスアイレスといえば、なんといっても、世界3大劇場に数えられるコロン劇場に行きたい!ということで、劇場を観光だけするつもりで行ってみたら、バックステージツアーの受付をやっている。勿論、「行く!」と即決。しかも、その夜には、アルゼンチン出身のホセ・クーラの「オテロ」をやるという。立見席しかない、と聞きましたが、これまたもちろん、「行きます!」と即決しました。

アルゼンチンは、昔、天然ゴムの輸出で世界一裕福な国になったことがあるそうです。その頃に建てられたのが「コロン劇場」。劇場の風格は勿論のことですが、舞台裏も素晴らしく、とにかく圧倒されました。

まず見せてもらえたのは、舞台装置を制作している工房2箇所。1箇所では、鉄骨組みの溶接作業が行われており、もう1箇所は仕上げの工程。仕上げの工房は舞台の真下、いわゆる奈落の位置にあり、仕上がった装置をそのまま横に移動すると、舞台と同じ大きさのエレベータがあります。これに乗せれば、舞台袖にそのまま縦に搬入することができる、という構造。とにかく天井が高くて広いこと。ちょうど、「オテロ」の次の演目の、「セビリアの理髪師」の舞台装置が制作中でした。都内の会場の狭い舞台袖と、ただの倉庫と化している奈落に慣れている身としては、もうとにかく茫然の一言でした。

さらに、衣装と小道具の倉庫。サイズ別に、100足単位で革のブーツが箱に入っていて、そんな箱がずらっと並んでいる。一つくすねたって分からないだろう、なんて思ったけど、ガイドさんの目が光っていて手が出ない。その脇には衣装工房があって、並んだミシンで、今まさに「オテロ」の衣装が制作中。階段の途中にはバレエ団のレッスン室があり、そことは別に、合唱団用のリハーサル室なども当然のように完備されている。

要するに、劇場全体が、オペラを作るための工場であり、そこに勤めている人々は全て、オペラを作るための集団なんです。ヨーロッパのオペラハウスでは当たり前のことなのかもしれません。でも、その設備とスタッフの充実ぶりと、そこを拠点としたソフト制作能力の高さに、本当にうらやましい、と思いました。

新国立劇場のバックステージツアーに行ったことはないのですが、あの劇場の「舞台裏」も素晴らしいようですね。日本でも、やっとそれだけのハードが整い始めた、ということなんでしょうが・・・でもコロン劇場から感じた、ソフト制作の「歴史」の深さ、その懐の深さ、というのは、日本ではまだまだこれから育成されるべきものなんでしょうね。

そこで、最初の話に戻ってくるんですが、舞台製作の「ソフト」というのは、舞台の上、「表」の顔を作り上げるスタッフ、つまり、優れた演出家や歌手や演技者を育てることだけに限らないんですよね。いわゆる「裏方」、つまり、装置・衣装を含めた美術系はもとより、練習日程調整や、楽譜の調達、楽器の手配、練習会場の手配、チケット・チラシ制作、予算管理といった、「裏」で舞台を支える「制作」スタッフというのも、非常に大事な「ソフト」なんです。一つの舞台を作り上げるには、企画・制作・創造の3つの柱がきちんと機能しないとだめ。私が今まで関わった様々な団体では、中々そういうバランスが取れていなくて、スタッフの方が苦労されているのをよく見ます。
もちろん、これだから日本は「ソフト後進国だ」なんて言う気はさらさらないです。歌舞伎座や、宝塚、あるいはキャラメルボックスのように、良質なソフトを定期的にきちんと供給している団体はちゃんとありますし。
言いたいことは、舞台の表も裏もしっかりした舞台制作団体を作り上げることの難しさ。それと同時に、もしこのページを見て、「舞台に関わりたいなぁ」と思う人がいたら、あなたのやるべき仕事は、舞台上にも舞台裏にも山のようにある、ということです。支えるものは情熱だけ。それさえあれば、どんな人材でも受け入れられるし、必要とされている、それが舞台の奥深さです。