技術と演出

いよいよ明後日が本番、ということで、再びガレリア座のみんなに、ご来場のお願いをしました。幾人かの方々から、激励のメッセージをもらったのですが、中に、別の劇団が同じお芝居をやる・・・という情報が。キャ○メ○ボ○ク○のことは聞いていたんですが、また別の劇団のようです。流行なのか?不思議だなぁ。最初にこのお芝居を企画した2年前には、全く無名のお芝居だったのに・・・

さて、今日は、先日女房と一緒に思わず見てしまった、「冬のソナタ」のこと。
最近、色んなTVドラマを見る機会がありました。古いものでは、この日記でも取り上げた、田宮二郎版の「白い巨塔」。最も最近のものだと、唐沢版「白い巨塔」に、なぜか、女房と盛り上がってしまった「牡丹と薔薇」総集編。かと思うと、仮面ライダークウガ」、「古畑任三郎」、「渡る世間は鬼ばかり」、そして、この「冬のソナタ」。
そこで思ったのは、TVの演出術、というのは、確実に進歩しているんだなぁ、ということです。私は演出術について専門的に勉強した人間ではないのですが、そういう素人目で見ても、TVの演出上の「文法」が、TVカメラの技術、合成技術の向上と共に、明らかに「進化」しているんだなぁ、と思いました。
それを、「冬のソナタ」で特に痛感した、というのは、まず第一に、「冬のソナタ」が、我々夫婦には非常に懐かしい感じのする、いわゆる初期のトレンディドラマの演出文法で撮影されている・・・という感じがしたためです。人物の職業や、会社のたたずまい、集うお店のお洒落な感じなど、キャラクターと空間造型の基本テイスト。男女七人夏物語の舞台と何が違うんだ。ヒロインが思わずシャッターを切ると、恋する男性の微笑のカットが静止画で切り取られる。そっくりのシーンを見た気がするぞ。夜の街を歩く男女二人。おい、これって、東京ラブストーリーじゃないのか。
その懐かしさの一方で、画像、つまり、TVカメラの技術は、明らかに現代のものです。10年前と比べても、格段に美しい。その進歩した技術で、懐かしいドラマが語られると、これがなんとも魅力的に映るんですねぇ。そんなわけで、「この後、絶対、この女、お店に彼氏連れて行くぞ!」とか、先の展開を予想しつつ、(これがまた当たるんだ)、結構のめりこんで見てしまった。
しかし、そう考えると、これって、最近流行りの、日本ポップスにおける「リバイバル」と、同列で語ることのできる現象なんじゃないだろうか、という気がするんです。つまり、最新の音響技術、アレンジ技術で、フィンガーファイブをリメイクするような感覚。「白い巨塔」のリメイクというのが、同じ素材をどう料理するか、という、演出技法・脚本技法の勝負だったのと同様の感覚。
さらに噛み砕いて言えば、TVドラマ、というのは、素材があり、脚本があり、演出があり、それを表現する技術がある、その総体なんですね。同じ素材を使っても、演出が違う、脚本が違う、ということで、出来上がったものは全く違うものになってしまう。「冬のソナタ」の場合、素材が韓国、ということで根本的に違うのですが、演出術・脚本術がかつてのトレンディドラマと同じ。そして、技術が違う。そうすると、これはこれで楽しめるもの、全然違うものが出来上がるんですねぇ。
一方で、古色蒼然たる素材に、これまた古色蒼然たる演出・脚本を現代に持ち込む、という手法で、そのギャップが堪らなくおかしかった「牡丹と薔薇」・・・ほんとに、色んなやり方があるんだなぁ、と、感心しつつ、二つのドラマを堪能しておりました。一緒に並べると、どっちのファンからも怒られそうだな・・・