「ちりとてちん」〜「見直し」の楽しみ〜

ちりとてちん」のDVDボックスが出て、じっくり最初から見直しております。実に実に素晴らしい。

同じ作品を見直す時の最大の楽しみは、作者や演出家が仕込んだ様々な伏線を発見する楽しみ。自然に、巧みに埋め込まれた伏線が、全体のドラマが立体的に膨らませている。そういう台本の見事さや演出だけじゃなく、細かい小道具などに埋め込まれた遊び心などを発見するのも楽しみの一つ。

昔の「アニメおたく」たちってのもよくこういう作業をやって喜んでましたがね。「宇宙戦艦ヤマト」で、土星で遭遇したガミラス星人が、ガミラス語で「ツバクカンサルマ」と言うのだけど、これが「マルサンカクバツ」の反対だ、なんてのがオタク(なんて言葉は当時はなかったが)の間で話題になったりしたっけ。

ビデオ・DVDなどの再生機器が発達したことによって、映像作品の隠れた「遊び」を探すことが相当容易になった。結果的に、話題になった映像作品は、マニアたちの極めて厳しい視線によって何度も何度も洗われることになる。適当に作った部分は容赦なく指弾される。作り手は大変だろうなぁ、と改めて思います。「カリオストロの城」のオープニングで、草むらに隠れていた次元の足が、1コマだけチラっと見えてしまう、というミスなんか、何人ものオタクが勝ち誇ったように指摘してたもんねぇ。

同じ「カリオストロの城」で、ルパンが、中盤で出てくる重要な小道具であるニセの指輪を作っているシーンがきちんと描きこまれていて、「見直し」たファンたちが驚愕していた、なんて話もあった。何気なく埋め込まれたシーンがきちんと終盤の伏線になっている。根性の曲がったオタクに至っては、宮崎駿さんのそういう丁寧な伏線の張り方を先読みしてしまって、「となりのトトロ」で、メイのサンダルがアップになるシーンを見て、「あ、これは後で絶対、サンダルが大事なネタで使われるな」と思ったら、案の定出てきてシラけちまったよ、なんてヒネた感想を述べている輩がいたっけ。オタクが嫌われるのはこういう所に原因がある気がしますな。

さて、「ちりとてちん」。見直せば、第一週の回で、その後のほとんど全てのエピソードの種がきちんと、しかもさりげなく埋め込まれていることに本当に感心する。その後も、小草若さんが初めての登場の時に足の爪を切っている、という何気ないシーンが、後々の悲しいエピソードの伏線になっていたり、ものすごく緻密に計算された脚本に改めて驚く。

そういう各エピソードの有機的なつながり、というのも勿論なのだけど、小道具などの遊びも面白い。女房が見つけたのは、第一週で、まだビーコちゃんが子役だった頃、小浜の家のビーコちゃんの部屋の壁に、折り紙で作ったヒグラシが貼ってあること。私が先日見直した回では、エーコちゃんの住んでいるマンションで、ビーコちゃんとエーコちゃんがダイニングで向かい合って食事するシーンで、手前のカウンターに砂時計が置いてあったこと。エーコちゃん役の佐藤めぐみさんが前に出ていた連続ドラマが「砂時計」で、このモチーフは、後の回でも出てきていて、ファンの間では話題になっていたそうな。(エーコちゃんがパソコンで作っているお箸のデザイン画が、サッカーボールとネコと砂時計になっている)

藤本有紀さん、という脚本家は、劇団カクスコの舞台脚本などを手がけて、TVドラマでも活躍されていた脚本家、ということで、本当に実力のある方なんですね。三谷幸喜さんとか、宮藤官九郎さんとか、面白い台本しか書かない脚本家、という方々が世の中にはいらっしゃって、一体こういう人たちの頭の中はどうなっているのだろう、と思うことがある。自分も何本か、舞台脚本を書いたことがあるのですけど、台本を書くってのは実際、簡単な仕事じゃありません。例えば、頭の中に10000個くらいのお話があったとして、実際に台本にできるようなお話に仕上げられるのはそのうちせいぜい20か30くらい、それがさらに、感動的なお話に仕上がる確率は1つか2つ・・・というのが実際のところ。多分、面白い台本しか書かない脚本家さん、というのは、そのあたりの打率が無茶苦茶高いか、頭の中で常に大量の物語を製造しているか、どっちかなんだろうなぁ、と思う。藤本さんの次回作も、期待したいです。