ちゃんと編集段階でチェックしてよ・・・

昨夜、TVで、泉ピン子さんが老い盲導犬の暮らす施設を訪ねる、という企画をやっていた。そこで、パピーウォーカーの家に預けられた盲導犬候補の子犬が紹介されていて、この子が赤ん坊の時、母犬のおっぱいを飲んでいる絵が出てくる。そこでナレーターが、

「おっぱいにむさぼりついていたのが、この子です」

と紹介。ちょっと待て、と。「むしゃぶりつく」だろう。「むさぼりつい」てどうするんだよ。

TV番組の生放送や、ライブ感覚のトーク番組で、出演者の日本語の乱れに呆れる、というのは、ある意味仕方ないのかな、という気もしますけどね。その場でいちいち日本語を正すわけにもいかないし。でも、こういうナレーションとか、声優さんのアフレコなどで、「?」と思う日本語に出会うと、脱力感もひとしお。

要するに、そういう言葉を口にしている人だけでなく、脚本家や、演出家といった、番組制作に関わるスタッフ全員の日本語への感覚が衰えている、という状況が垣間見えちゃうからなんですよね。脚本段階、音声収録段階、放送前チェック、と、何度でも修正の機会はあったのだろうに、全部クリアして放送されてしまうってことは、そこに誰も違和感を感じていない・・・ということ。放送禁止用語とか、スポンサー関係の禁止事項なんかをチェックする機能は高度化しているのかもしれないけど、肝心の日本語への感覚は衰退する一方・・・という背景が見えてきちゃう。

同じような脱力感は、マンガのネームに頻繁に登場する誤字脱字にも感じることがある。以前、とっても好きだった少女マンガ家がアメリカを舞台にしたマンガを描き始めて、手書きで書いてある英語のネームにびっくりするほど初歩的なスペルミスが頻発していて、すっかり興ざめた記憶がある。こういうのも、編集者がきちんとチェックしてあげるべきだよねぇ。

もちろん、結構微妙なものもあるらしくて、「順風満帆」というのを「じゅんぷうまんぱん」と読むか、「じゅんぷうまんぽ」と読むか、なんてのは、ちゃんとした正解がないらしい。昔見た「母をたずねて三千里」というアニメで、声優さんが、「じゅんぷうまんぽ」と言っているのを聞いて、「間違ってるのに、演出家も脚本家も気づかなかったのかなぁ」なんて思いましたけど、ネットで見ると、野村芳太郎監督の「砂の器」でも、同じ読み方をしていたらしいですね。現在では、辞書などでも、「じゅんぷうまんぱん」が正解、ということで共通見解が出ているらしいけど、昔はどちらの読み方もあったらしい。私としては、「じゅんぷうまんぽ」には相当違和感を感じますけど。

最近街中でよく聞くのが、女の子が自分のことを、「うち」と呼ぶこと。気がつくと大学生以下くらいの女の子は、かなりの子が自分のことを「うち」と呼んでいる様子である。もともとは何かのアニメから始まったらしいんだけど、これも相当違和感がある。「うち」ってのは関西の方言だろう。娘にはゼッタイ真似をさせるまい。

ただ、こういう若者用語っていうのは、一種、若者の間だけの「符牒」のように使われていて、使っている本人たちも、いつのまにか忘れていってしまうような性格のものかも、という気がします。若者たちの言葉の乱れ、なんてことには、あんまり目くじら立てても仕方ない気がする。私の世代が若かった頃では、話し相手のことを、「自分」とか、「彼」「彼女」と呼ぶ、という、人称の乱れが問題になっていましたけど、最近あんまり耳にしなくなったよね。昔は、駅前のキャッチセールスのあんちゃんが、「自分、今いくら持ってる?」なんて、しょっちゅう声かけてきたもんだが。自分のことは自分に聞きなさいね。