シンクロニシティ、あるいは、「出会い」ということ。

今度やるお芝居のパンフレットに載せる文章に悩んでいました。ウチの劇団は、女房と私の2人しか団員がいないので、どちらかがパンフレットの文章を書くことにしています。大抵、その企画を持ち込んだ方が文章を書きます。なので、今回は私の番。書きたいテーマは決まっていたのだけど、導入部分をどうしようか、ちょっと悩んでいました。時事問題を取り上げるのもお洒落じゃないし、どうしようかなぁ・・・

そしたら、今朝読んでいた雑誌の中に、ひょっこり、使える表現を見つけました。全然関係ないビジネス雑誌だったんですけど。こういうことってありますよね。精神分析学のユングが、「シンクロニシティ」と呼んだ現象。我が家でもそういうことって、結構あります。以前、ドニゼッティの「愛の妙薬」をやった時、車で練習会場から帰宅途中に、NHK−FMから、自分たちが練習している二重唱が突然聞こえてきたり。

偶然と呼ぶにはあまりに確率の低い偶然、「意味のある不思議な偶然の一致」を、シンクロニシティと呼ぶそうです。ユング精神分析学が、学問からオカルトに一歩踏み出す一つのきっかけ・・・とも言われていて、ちょっと神がかった話にはなりますが、何かを創作するときには、よくあることのような気がしています。オカルトにならないように言い換えるなら、「出会い」というか。

前の日記にも書いたのですが、「王子メトゥザレム」というヨハン・シュトラウスオペレッタを、日本で上演しよう、という試みに、ガレリア座がチャレンジしたことがありました。曲はとてもきれいで素晴らしいのだけど、脚本が全然ダメで、世界的にも、ほとんど上演される機会がない、といういわくつきの演目。これの再脚色を依頼され、頭を抱えていたときのことです。

二つの国がいがみ合っていて、その王子と王女が愛し合う、という、ロミオとジュリエットのパロディみたいな話、という大枠が大体わかり、曲の雰囲気も判明したけれど、原作の脚本がどういう内容なのか、さっぱりつかめない。そこに、ヨーロッパのどこかの国で、復活上演された時の珍しい録音テープ、というのが持ち込まれてきました。とはいっても、全編ドイツ語で、録音状態も悪く、セリフが分からない。ドイツ語の堪能な方にヒアリングしてもらっても、「歌になると聞き取れなくて・・・」ということで、やっぱりよく分からない。こうなったら、自分で完全に作り直すしかない、と腹をくくったときです。

「物語の舞台になっている、このトロカデッロという国には、温泉か、泉があるみたいですね」と、テープを聞いた方がおっしゃった、その一言が、さぁっとアイデアを生み出すきっかけになりました。私の母校のある神戸市が、震災で壊滅的な打撃を受けたとき、私がメモのように書き留めた、ある物語のアイデアと、その方の一言が、非常に幸福な「出会い」をした瞬間。

震災で、壊滅的な打撃を受けた造り酒屋があり、地震の影響で、その酒を支えていた名水を生み出す泉も涸れてしまう・・・しかし、その酒屋に集う人々が、復活を、愛を信じたときに、その泉から奇跡のように水が再び湧き出てくる・・・という物語。この物語をベースにして、若い王子と王女の愛が、涸れてしまった泉を復活させる、という、全く新しい「王子メトゥザレム」の物語の軸が生まれました。泉の復活と、失われたオペレッタ「王子メトゥザレム」の復活もどこかでシンクロし、冗長な台本ではあるけれど、自分なりに満足の行く物語を作ることができた気がしています。この幸福な「出会い」がなかったら、あの「王子メトゥザレム」の復活もなかっただろうな、と思います。

・・・その後、やっと「王子メトゥザレム」の台本が入手でき、その粗訳が、翻訳家のまゆみちゃんの手元から送られてきたのですが・・・どこを探しても、「泉」なんてモチーフはないのです。そのヨーロッパでの公演で、「泉」がどんな役割を果たしていたのか、というのも謎のまま。ひょっとしたら、泉なんて出てこなくて、ヒアリングをした方の聞き間違いだった可能性もあります。だとしたら・・・

・・・ちょっとした偶然のいたずら。でも、その「出会い」がなかったら・・・そういうことって、結構ありますよね。