「笑い」ということ

会社に行こうと思ったら、娘が寝ぼけまなこで、「パパと遊びたい〜」と泣きべそをかき始めました。わかった、今日は会社には行かないで、遊ぼう!・・・と思わず言いそうになるのをこらえて、今日も出勤です。お父さんはつらいよ。

昨夜、「用心棒」を見終わりました。しかし、HDDというのは、テープに比べると確かに画像がきれいな部分もありますけど、デジタル写真みたいなべたっとした色合いになってしまうところがちょっと不満ですね。最後のいぶり出しのシーンの煙の映像が、デジタル画像のもやもやになってしまって、ちょっといただけないなぁ、と思いながら見ていました。

・・・さて、「用心棒」のことなのですが・・・
黒澤映画は、それなりに数を見ているのですけど、やっぱり「用心棒」が一番好きかもしれません。「七人の侍」も勿論大傑作だし、「天国と地獄」もかっこいい。「デルス・ウザーラ」も泣ける。「隠し砦の三悪人」も面白い。でも、やっぱり、「用心棒」だなぁ。

かっこいいなぁ、と思うシーンは一杯ありますけど、面白いのは、そういうシーンのほとんどが、「情報の欠落」による面白さであること。たとえば、

・八州廻りの御付の小役人が、お茶代わりの酒を飲んだり、袖の下をもらうシーンは、一切「セリフ」が欠落しており、全て、飲み屋からの遠望シーンで、パントマイムで描かれています。これがすごく面白い。

・町役人を斬った二人組を夜道で捕らえるシーン。二人組の背後の白壁に、まず三十郎の影がぬうっと映って、それから三十郎自身が姿をあらわす。姿が見えず、影だけが見えた時の、わくわく感といったら・・・

・その二人組の捕縛のことを、丑寅に三十郎が玄関先で告げるシーンも、丑寅自身の姿は見えず、その足先だけが見える。その足だけが、三十郎の一言一言に反応する。丑寅の顔の表情は見えないのに、その動揺が伝わってくる面白さ。

他にも、「語らずして語る」面白さが随所にある。表現というのは、全てを表現すればいいってものじゃない、表現しないことによってさらに深みを増す表現もあるんだ、ということの、すごく分かりやすいテキストだなぁ、と思いながら見ていました。

あと、「用心棒」の魅力はなんといっても、全編に流れる「ユーモア」「笑い」だと思います。「笑い」によって、見ている側に余裕が生まれる、その精神的な弛緩が、次に続く緊張感あふれるシーンをさらに際立たせる。また、その余裕が、時に凄惨な斬り合いのシーンを、どこか客観的に見せてくれる効果も生んでいる。
例えば、冒頭に、切り落とされた手首をくわえた犬が走っていくシーン、というのが一つの典型例です。そのままならひどくグロテスクな場景なのに、かぶさる佐藤勝のお茶らけた音楽のおかげで、なんとも間の抜けたユーモラスなものになり、すさんだ宿場のありさまを、観客は客観的に見ることができる。絶えず、観客に「余裕」を与えてくれるユーモアの仕掛け。

この映画のリメイクになっている「荒野の用心棒」や、「ラストマン・スタンディング」で、抜け落ちてしまったのが、この「笑い」の要素なんじゃないか、と思います。この映画の最大の魅力であるユーモアを失ってしまったために、「荒野の用心棒」は、ただのすさんだ殺し合いの映画になってしまった。

この「笑い」というやつは、作り手の方にも余裕がないと、中々産まれてこないもののような気がします。黒澤さんの晩年の映画には、この「笑い」が少なかった気がするのです。全編にとぼけた味があった「まあだだよ」にしても、どこか作り手の余裕のなさがあって、素直に笑える場面が少なかった気がする。そういう意味では、子供たちの演技に対して黒澤さん自身が余裕を持って接しているような感じのする、「八月の狂詩曲」の方が、観客の方も余裕を持って楽しめた気がする。「乱」あたりになると、どうにも息苦しいくらいに緊張が持続してしまって、一向に息がつけない。すごい映画なんですけどね。

「用心棒」には、監督と役者さんの間にも余裕があって、その余裕をお互いが楽しんでいるような、現場が楽しんで作っている空気がそのまま伝わってくるような感じがあります。ただ、黒澤さんというのはやっぱり生真面目な方なんだなぁ、と思うのですが、ラストのシークエンスで、全編にきっちりけじめをつけようとして、そのあたりの余裕がなくなってきてしまった気がする。最後の決闘シーンからラストにいたるシークエンスでは、折角の「笑い」の要素が後退し、むしろ、「乱」で現れたような惨劇の側面が表に出てしまって、ちょっと後味が悪い。宿場に暮らす普通の人々の影が薄いのも、ラストシーンの後味の悪さにつながっていたりする。この宿場、ごんじいと棺桶屋だけになっちゃったら、そもそも寂れてしまうんじゃないか、なんて余計なことを考えたりして。人物関係を整理するために、あえて、他の登場人物を出さなかったのだとは思うのですけど。

後味のよさ、という点では、「椿三十郎」の方がたしかに爽やかでいいですね。物語の面白さ、という点では、「用心棒」の方がかっこいいのですが。