♭FLATTO音楽演劇「じゃ歌うね、誕生日だしウチら」〜私たちは、奇跡だ〜

今回は本日観劇した、♭FLATTO音楽演劇「じゃ歌うね、誕生日だしウチら」(以下、「じゃウチ」)の感想を思いっきり書きます。無茶苦茶心揺さぶられたし、無茶苦茶色んなことを連想したパフォーマンス。ちょっと整理しながら書くので、例によって支離滅裂になっちゃうかもしれないけどご容赦のほど。


♭FLATTOというプロジェクトは、黒澤さんが出演された第一回公演「春はのけもの」、第二回公演「夏のばけもの」を見ています。観客とお客様の距離が極限まで近く、お客様のいる空間そのものも演劇空間としてしまうこのプロジェクト、演者自身のパーソナリティがかなり生な形でさらけ出される感じがあるんだよね。今回の「じゃウチ」では、ライブスペースと客席、というある程度明確な区分があって、そこを越境する瞬間が少なかったせいか、パフォーマンスそのものをしっかり楽しめた側面はあるのだけど、ただ、そもそもこの企画自体が、倉島颯良さんと黒澤美澪奈さんという2つの才能が出会った奇跡という現実のドラマに立脚しているために、フィクションと現実、演技とリアルの境界を越境する瞬間が何度もあり、これぞ日常空間を演劇空間に変貌させてしまう♭FLATTOの醍醐味なんだよなぁ、と思った。


逆に言えば、僕らの人生の中にだって演劇になるようなドラマや奇跡っていっぱいあるんだよね。今回演じられたアイとユウの物語は、現実の黒澤さんと倉島さんの奇跡のドラマよりも、我々の日常生活の隣にありそうな等身大の若者の物語に仕立てられていたけれど、それでも、夢への思いや挫折、人への思いやりとすれ違い、沢山のドラマを内包している。2人の人生のドラマは、わずかに語られる手紙と、歌い踊る2人のパフォーマンスと音楽でしか語られないけれど、奇跡のような強い絆で結びついた2人を引き裂く見えない壁に苦しむ姿もしっかり描かれていて、2人の人生が決して笑顔だけではなかったことが示唆されていたりする。


その2人のドラマには、否応なく倉島颯良さんと黒澤美澪奈さんの出会いとこれまでの足取りが重なって見えてくるんだよね。さくら学院という場所で奇跡的に出会い、2年間という短い期間で深い絆を繋いだ2人。共に女優という道を選びながら、これまでの歩みは2人とも決して平坦ではなかった。そして、倉島さんのAmuse退所と、その後、今までとは異なる場での活躍を見せ始めた矢先のこの舞台。


パフォーマンスのバランス、という意味でも、黒澤さんと倉島さんっていいバランスだなぁって思うんですよね。声のパートも倉島さんがソプラノで黒澤さんはアルト。身体のシルエットに恵まれていて、ダンスの所作の一つ一つが艶っぽく決まる倉島さんと、小柄な身体を身体能力の高さで躍動的に見せる黒澤さん。倉島さんの腕の軌跡が美しいパラパラダンス、黒澤さんの後半パンツスタイルになった時のソロダンスの躍動感とか、対照的だからこそユニゾンになった時のカタルシスが高いんだよなぁ。


もう一つ、演劇的な感想を言うと、2人の人間の運命的な出会いとその奇跡というドラマを手紙で綴っていく、という構成が、昔大好きだったセゾン劇場の「ラブレターズ」と重なって、そこも胸キュンポイントだったんですよね。手紙だからこそ伝えられることを年月と共に重ね続けて、「ラブレターズ」の男女は直接会うことでむしろお互いの運命の歯車を狂わせてしまうのだけど、アイとユウの2人は直接「対話」をし、ライブという時間を共有することで、共に生きていく勇気を得る。時間と空間を超えるコミュニケーション手段である「手紙」によって、過去と現在が目の前でだまし絵のように重なって見える演劇的構造が本当に好き。


毎年お互いの誕生日を祝い合おう、というアイとユウの約束が、アンコール曲のさくら学院2016年度卒業曲で、7年前の約束と重なり合った瞬間、父兄の涙腺は完全に決壊。さくら学院という学校が自分の心を惹きつけてやまないのは、倉島さんと黒澤さんのような出会いが、絆の物語として今も続いていくことで、人と人の出会い、そしてそこからまた新たな出会いや物語が生まれてくる奇跡を目の前に見せてくれることなんだよね。「私たちは奇跡だ」というセリフがあったけど、この世には奇跡が起こるんだよって、こんな夢も希望もなくなったジジイにも信じさせてくれたのが、さくら学院という学校だったなぁって、改めて思いました。

 

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黒澤さん、すみません、倉島さんのオリジナルカクテル選んじゃいました。美味しかったです。