「夏のばけもの」~稽古場ってすごく楽しいんだよなぁ~

場所を選ばずお芝居をする、というコンセプトのプロジェクト、♭FLATTO。渋谷のバーで上演された第一回公演の「春はのけもの」で胸つかまれてしまって、このブログにもずいぶん暑苦しい感想文を書いたりしました。このプロジェクトが、今度は「赤坂のAIサービスロボットのいるオフィス」で第二回公演をやるという。そしてこのプロジェクトを教えてくれた、さくら学院卒業生の黒澤美澪奈さんがまたご出演される、という。これは見に行かなきゃ、と、行ってきました、赤坂のAIサービスロボットのいるオフィス。

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本当におしゃれなオフィスのカフェテリアスペース、という感じの場所で、この写真のようなカウンターや、テーブル、ソファなどが客席を囲むような形で配置されている。第一回公演は、どちらかというと客席の正面で物語が展開する、より演劇的な感じだったのですが、今回は、客席の周囲の色んな場所で異なるドラマが進行し、そして時には客席も含めた会場全体がドラマの舞台に広がったりする。観客は自分の正面や左右、あるいは後方で繰り広げられる様々なドラマを、自分の身体の向きを変えて注目する感じ。

結果的に、前回よりも、演劇というより、テレビドラマ感が強まった感じがしました。テレビカメラのカット割りやシーンチェンジが、観客が視点を変えることで実現されているみたいな。会場の家具も豪華だから、ちょっとトレンディドラマっぽい空気感もあったり。テレビ局の中のシーンとかがあるので余計にそんな感覚が強くなる。

シーンの切り替えはテレビドラマっぽいのだけど、このプロジェクトの特徴である演者さん達との距離の近さ、というのは相変わらず。手を伸ばせば触れることができるくらいの距離で、黒澤さんと秦健豪さんが路上で酔っ払い芝居とかやってるの見てるうちに、なんか「稽古場」にいるみたいだなぁって感じが強くなってくる。芝居の稽古場で若い役者さん達がエチュードをやっているのを見ているような感覚。距離感といい、一つ一つのシーンの濃密さといい、感情の起伏の大きさといい。

自分もアマチュア舞台作ったりしたことがあるんですけど、稽古場って楽しいんですよね。下手すれば本番舞台より楽しかったりする。特に我々みたいなアマチュア舞台では、プロの演劇集団みたいに本番会場と同じサイズの巨大な稽古用のセットをくみ上げて練習する、なんてことができないから、狭い公共施設の会議室とか借りて、床にビニールテープで場ミリしまくって、「ここ階段ね」とか「ここに山台あるから」とかいいながら、色んなものを本番の大道具に「見立て」てお芝居をやるんです。ただのパイプ椅子が玉座になったり、掃除道具のモップが賢者の杖になったりする。でもそういう「見立て」が無茶苦茶楽しいんだなぁ。

稽古場の中に、巨大な城とか教会のステンドガラスとかを想像しながら芝居をする。そして、自分の目の前、本当に手が届くくらいの距離から、同じ芝居仲間達や演出家が見守っている濃密さ。そこで本番会場の広さや何百人という観客まで想像しながら演技をしていると、自分の中の演技空間がどんどん広がっていく。結果として、本物の大道具や立派な照明効果で彩られた本番舞台よりも、「あの稽古の時の方がいい芝居だったなぁ」なんて思うことが結構あったりするんです。

♭FLATTOの会場の濃密さ、場の一体感、色んなものをカフェや登場人物の自宅、車の運転席、路上、などに見立てることで、観客の想像力を刺激する感じ、それが凄く「稽古場」の雰囲気に似てる気がしたんだよね。稽古場のリハーサル場面をそのまま本番舞台にする、という演出の、東京グローブ座の「ヴェニスの商人」の舞台を見たことがあったけど、それをさらに観客のすぐ目の前に引き下ろしてきたような感じ。

こういう場で、自分自身の想像力を駆使しながら、観客の視線を間近に受け止めながら、しっかり演技や自分の見せ方を鍛えられるのは、若い役者さん達にとって本当にいい機会だと思う。このプロジェクトが若い売り出し中の役者さん達を使っているのは、ある程度商業的な理由もあるのだろうけど、これから大きな舞台に出ていくにせよ、テレビみたいな濃密な場で演技するにせよ、この場での経験ってのはどちらにも応用できる凄く貴重なものなんじゃないかなって思います。撮り直しがきかない一発勝負の場で起きるハプニングに対応するアドリブ力も鍛えられる。私が拝見した回では、AIロボットのLankyくんがストライキをするというアドリブをかましてきて、それに必死に対応している秦健豪さんとか、きっと忘れられない経験になったんだろうなって思った。 

このプロジェクトの持っている「稽古場でご一緒している」みたいな濃密な感じ、お客様も含めた一体感、というのは、演者の方々のチーム感の強さにもつながっているのかなぁって思う。私が拝見した回には、前回公演にご出演されていた田中日奈子さんと清水ららさんが見に来られていて(マスクしててもカワイイキレイオーラ半端なくて眼福)、終演後の黒澤さんとのやりとりとか、プロデューサの横大路伸さんとお話されている様子とか見ると、このプロジェクトの演者さん達の絆の強さみたいなものをちょっと感じたりしました。

ちょうど五輪やパラリンピックが開催されているこの時期、才能でも熱意でも努力でも実力でも、どうしても届かない夢ってあるんだよなぁってことを、普段より強く感じる日々だったりします。でもそのすぐそばで、それほど強い夢への思いを持っているわけでもない人が、するするっと自分の理想の姿へと駆け上がってしまうこともある。そういう人達を心から祝福なんてできるわけない。そこで生まれてくる妬みや憎しみ、なんとか足元を掬ってやろう、って言う浅ましい破壊欲求や、なんで私だけがっていう被害妄想とかっていう真っ黒なばけものは、誰の心の中にも巣くっているものだけど、ひょっとしたら人類を滅亡に導くような大きな争いの原動力にもなりうるのかもしれない。

人の心を蝕むネガティブな感情、SNSみたいなゴミだめの中に吐き出されてのたうち回って色んな人達を傷つけたりするばけものみたいな感情を、未解決のままに、主人公の2人の間に投げ出して、二人の和解も決裂も描かぬままに物語は終わります。この後、この負の感情達をこの子達がどう鎮めるのか、その調伏のプロセスは描かれない。2人はこれからもずっとこのばけものを心の中に抱えて生きるのかもしれない。

でも、私は甘い人間だからさ。雨音さんが心の底から、自分の中にいた真っ黒い感情を声にして吐き出したってこと、ばけものを必死に「言葉」にして、直接玲花さんにぶつけたってこと自体が、二人の関係に救済をもたらして欲しいなって思う。人の心を救うのは、やっぱり言葉の力しかないのじゃないかなって。もちろん、言葉ほど人の心を傷つけるものもないし、一番大事な言葉ほど、喉でつかえてしまって大事な時に出てきてくれない、本当にもどかしいものなのだけど。

舞台初挑戦という坂ノ上茜さんはじめ、楠木拓朗さん、秦健豪さん、仲美海さん、それぞれに、自分の口にする言葉をとても大切に扱っている感じがしました。楠木さんの悪気のない罪作りイケメンの感じ、秦さんの暖かい関西弁、仲さんの陰影のあるお芝居、皆さん素敵だったなぁ。

そしてお目当ての黒澤さん。今回は登場人物達の間をつなぐ役回りだったけど、相変わらず身体全体を弾ませるみたいなパワフルなお芝居、くるくる変化する豊かでキュートな表情、間近で楽しませていただきました。「真夏の夜の夢」のパックみたいな役回りだったけど、黒澤さんってきっとパックとか演じたら上手だろうなぁ。間近で見ると改めてホントに半端なくカワイイ方。舞台表現が色んな意味で難しいこの時期に、これだけ濃密な空間を作り上げるのは大変だと思いますけど、スタッフの方々も含めて、無事に千秋楽まで駆け抜けられることを祈っています。素敵な時間と空間をご一緒できて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

「春はのけもの」の時もそうだったけど、神様のいたずらで残酷な運命を背負わされてしまった少女が、必死に周囲との間の絆をつないでいこうとする、横大路伸さんが描き出すなんとももどかしい物語、個人的にすごく好みです。ある意味大変尖ったコンセプトを持ったプロジェクトだと思うのだけど、配信メニューを組み合わせたり、安定した顧客を確保できるアイドルさんを演者に、物販も充実させてチケット収入を確保したり、こんな冒険性の高い企画を、エンターテイメントとしても、商業プロジェクトとしても成立させているプロデュース力にも感心します。終演後、田中さんや森さんと談笑されているお姿を見ても、とても優しそうなお兄さん、という感じの方で、そういう優しさと、こんな残酷な物語をエンターテイメントにしてしまう透徹した感性が、このプロジェクトの柱になってるのかもなって思った。このプロジェクト、これからも思わぬ場所で、その場所ならではの表現世界に僕らを巻き込んでいって欲しいなって思います。