ちょっとブログを放置し過ぎましたね~日本語力落とさないようにしないとねぇ~

気が付けばこのブログ、二か月近く放置してしまいました。色んなインプットやアウトプットはあったんですが、Twitter(いまではXというのか)さんとか自分の演奏会の企画とかで自己表現欲求が満たされてしまっていて、こういうブログで文章をしっかり綴る欲求が落ちてきているんだね。

まぁその前から、自分の「漢字力」が凄く落ちているなぁ、という実感があって、それは明らかにいわゆる「ワープロ病」なんだよね。ワープロってのも死語なのか。いずれにせよ、自分の手で漢字を書かなくなって、パソコンが代わりに変換してくれることに頼っているうちに、自分の漢字力がどんどん落ちている気がする。手で文章を書いていると時々、「この漢字どう書いたっけ?」と戸惑うことが多くなって、すごく簡単な漢字で迷ってしまう自分に呆然とすることがある。

でも、こういう「漢字力の低下」というのは自分だけじゃないみたいですね。先日、映画の字幕制作で有名な戸田奈津子さんのインタビュー記事を読んでいると、「日本で字幕が定着したのは、昔の日本人の識字率が非常に高かったことも一因なんです」ということをおっしゃっていて、その流れで、「最近、若い人の識字率が非常に下がっていて、字幕も、『とにかく漢字を減らして、ひらがなを極力多くしてください』って言われるんです」ということをおっしゃっていた。「このままでは日本でも映画の字幕文化は滅びますね」と。

若い人が漢字が読めない、っていうのは結構実感することが多くて、自分の推しの10代のアイドルさん達なんか、ホントにびっくりするほど漢字、あるいは日本語を知らないんだよね。それでもちゃんと大学生になっていたりするので、漢字読めなくても大学生になれちゃう時代なんだなぁって驚くことがある。「水面」を「みなも」と読めない大学生、「竹垣」を「たけがき」と読めない(というか恐らくその言葉自体を知らない)高校生。割と高学歴と言われる大学を出ている人が、「ケレン味」という言葉を知らなかったりして驚いたり。

確かに、日本語、という言葉自体が非常に難しい言語だ、というのも、この言語そのものの継承を難しくしているのかも、と思ったりする。26文字の文字を覚えればあとはその組み合わせを学べばよい欧米言語と違って、ひらがなカタカナ100文字に、無限に存在する漢字を組み合わせて、それがケースバイケースで読み方が変わる、という恐ろしい言語。先日女房に以下の質問されて驚愕したんだけど、皆さん、下記の自覚ありました?

女房:1から10までの数字を、声出して言ってみて。
私:いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、く、じゅう
女房:10から逆に言ってみて。
私:じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち
女房:なんで「9」と「4」は読み方が変わるの?
私:??????

他にも、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお、なんて言うと、「ななつ、やっつ、ときて、なんで『ここのつ』なんだよ、きゅうつ、か、くっつ、でいいじゃねえかよ」とブチ切れる厚切りジェイソンみたいな外国人がいるそうです。あるいは、ネットとかよく見る日本語の複雑さについて語られる以下のような例文もありますよね。

「3月1日は日曜日で祝日、晴れの日でした」

多くの日本人なら普通に読み下してしまうこの文章、外国人から見るとこれをすらすら読めること自体驚愕なんだそうですね。というのも、この文章の中で出てくる「日」という漢字の読み方、全部異なっている。規則性も何もない。Why Japanese People?!

逆に言えば、こういう複雑性を持っている日本語って、かなり意識をしてしっかり継承していかないと伝わらなくなってしまうものなのかもしれないなぁって思います。昔は、江戸の頃からの寺子屋制度とか、歌舞伎や落語や浪曲といったエンターテイメントを介して、特別な教育を施さなくても、全ての社会階層の人々が共有できる文字力・文章力・日本語力を維持することができていたんじゃないかなぁ。それが失われてしまって、かつ、マンガやアニメ、ゲームなどの文字情報・言語情報が少ないメディアやエンターテイメントで子供が育つようになってしまうと、日本語の複雑性に触れる機会そのものが失われてしまう。そうなると、なんらかシステム的に、あるいは意識的にしっかり継承しないと、この独特の複雑性を持った日本語という言語自体、急速に単純化していってしまうかもしれないなぁって思います。

まぁ、言語も生き物だからそうやって単純化してしまうのも、文化や歴史によって変化してしまう言語の宿命だ、とあきらめてしまうのも一つの道なんだろうけどね。それに、人間が学ばなくても、生成系AIが代わりに記憶し継承し創造までやってくれるようになるかもしれないしなぁ。しかしそれを受け取る人間側が、生成系AIが綴る日本語が読めなかったり理解できなかったりしたら一体どうなるんだ?生成系AI同士でコミュニケーションして全て完了してしまう世界における人間同士のコミュニケーションって、一体どうなるんだろう。老化とワープロ病で私の頭からこぼれおちてしまった漢字たちの行く末含めて、色んなことが心配になる酷暑の夏であります。