音楽朗読劇「星の王子さま」~永遠の聖少女と永遠の少年と~

先日、推しの新谷ゆづみさんが出演された音楽朗読劇「星の王子さま」~きみとぼく~を観劇。その感想を書きます。推しの煌めきに錯乱したヲタの世迷い言から、例によって衒学的な知ったかぶり文、そして朗読劇という空間そのものへの感想など、脈絡もなく綴って参ります。さて、本当に良いところに着地するのかしらね。とりあえず、ヲタの世迷い言からスタートしますんで、気色悪いと思った方は適当に読み飛ばして途中から読んでいただいてもいいですし、最初からこんなページのことは忘れてそれぞれの日常に戻っていっていただいてもよいかと。

2人の演者が日替わりで、歌と朗読で「星の王子さま」の世界を演じていく、というこの企画。キャストの顔ぶれ見ただけでワクワク。こういう2人朗読劇、といえば、セゾン劇場でやっていた「Love Letters」のシリーズ(大好きでした!)とかを思い出しますけど、この錚々たる出演者に交じって、さくら学院の卒業生の新谷ゆづみさんが星の王子さまをやるという。これは絶対行かないと後悔する、と思ってチケットゲット。幕張メッセで開催されるBABYMETALの復活ライブ二日目と重なっていて、BABYMETALの方もすごいいい整理番号もゲットできたんですが、それでも新谷さんの星の王子さまを見られるなら後悔はしない、と、青山のBAROOMという会場に向かいました。

この企画については、演出家小宮山佳典さんとプロデューサーの小川仁美さんのインタビュー記事(後掲)があり、その中で小川さんが、「南青山のこの交差点にまさかこんな劇場があるなんて」という驚きを感じてほしい、ということをおっしゃっていましたが、まさにその通りの印象。この劇場、この空間、いいなぁ、というのが第一の感想でした。自分も、素人芸ですけど、朗読劇やサロンコンサートをやる人間なので、演者と客席の距離が近いけど、でも劇場としてのインテリアや非日常感が整っている「ハレ」の空間としての小劇場にすごく憧れるし、日々探していたりするので、この場所で演じたり歌ったりするのは楽しいだろうなぁ、とまず思わせてくれる空間でした。

星の王子さま」という題材については、昔からちょっと屈折した見方をしていて、サン・テグジュペリの婚約者だったルイーズ・ド・ヴィルモランの生涯のことを少し知っているものだから、ヴィルモランの視点から見て、「地に足のつかない」永遠の少年だったサン・テグジュペリの「困ったちゃん」の側面をちらちら感じちゃうんですよね。ヴィルモランは、「ジャン・コクトーに求婚され、オーソン・ウェルズを燃え上がらせ、アンドレ・マルローの伴侶となる…あらゆる知的男性のミューズだった伝説の女流作家」と言われる方で、そう言われれば色んな男を手玉にとるファム・ファタール的な女性で、星の王子さまを翻弄するバラのモデルにふさわしい、と思われるかもしれないんだけど、逆の見方をすると、サン・テグジュペリっていう人もかなり重度のピーターパン症候群なんですよ。星の王子さまは全編、「大人になんかなりたくない!」というテグジュペリの愚痴とも捉えられなくはない。パオバブの樹(ナチズムの象徴といわれる)とか、ビジネスマン(投資に狂うその行動は、1920年代狂騒の時代のアメリカを思わせます。そしてそのバブルは1929年の大恐慌ではじけるわけですが)など、時代風刺も取り込んだ巧みなストーリーテリングにちょっと目を眩まされたりするけれど、根底に流れているのは、自分が失ってしまった少年性への限りない憧憬と大人社会への嫌悪なんだよなぁ。そしてそのまま本当に大人にならないまま行方不明になってしまうという。

でも、今回の音楽朗読劇では、音楽を担当された滝澤みのりさんの、とても素直で優しい楽曲の力と、樋口ミユさんのシンプルな台本のおかげで、私みたいな屈折した見方をする汚れた大人も心清められるくらい、「星の王子さま」という無垢の存在が語る人生の本質が、すとん、と心の中に届けられた気がしました。そして何より、自分にとっての新たな発見、というか、あ、そうだったのか、と思ったのは、星の王子さまは自分の肉体を犠牲にすることによって、飛行士の目に映る世界そのものを変革してしまう、という、自己犠牲の物語だったのか、という発見。

王子様が毒蛇に身を任せるのは、あくまで自分の星に戻ってバラへの愛を全うしよう、とする思いからではあるのだけど、でもその肉体の死は、星に戻った王子様のことを思う飛行士の心のありようを変えてしまう。無原罪の存在の犠牲による救済、というキリスト教的哲学が背景にあるのは勿論なのだろうけど、王子様の存在が無垢で純粋であればあるほど、その犠牲による飛行士の心の救済が、見ているこちらの心まで救ってくれるような思いで胸をぐっとつかんでくる。萩尾望都の傑作「トーマの心臓」で、ユーリの心を解放させるために自分を犠牲にしたトーマのように。ラストシーンでは涙ぐむお客様が本当に多くて、星の王子さまってこんなに泣ける話だったっけ、と思いながら、私も思わずポロポロ泣いておりました。プロデューサの小川さんが、「『涙活』をしていただきたい」とおっしゃったその意図通りになってしまった。

そんな風に客席を(共演者も巻き込んで)涙に溺れさせてしまったのは、なんといっても新谷ゆづみさんの王子様の真っ白な存在感に因るところが大きかったと思います。本当に、曇り一つないクリスタルガラスのような透明感。全くの無地の状態で地上に降り立った王子さまだからこそ、その目には様々なものの真実の姿が見える。足をぶらぶらさせながら、象を飲み込んだウワバミの姿を無邪気な表情で見通してしまう新谷星の王子さまの姿は、サン・テグジュペリが夢見た永遠の少年そのもの。

こういうピュアな存在感を持っている女優さんといえば、自分的に真っ先に思い浮かぶのは原田知世さんなんです。大林宣彦監督の「時をかける少女」で衝撃的に登場した原田さんは、まさに永遠の妖精のようなピュアな存在感を保ち続けている稀有の女優さんだと思うし、こういう透明感を持った女優さんってあんまり他にいない気がする。大林映画の数あるヒロイン達の中でも、やっぱり別格の存在だと思う。

新谷さんは演技巧者であるだけではなくて、「麻希のいる世界」で塩田監督にいかに汚されようと、「異世界居酒屋のぶ」で貧しい庶民の娘を演じようと、どこかにすっと筋が通った品の良さと、自分が向き合う役や共演者を真っ直ぐに見つめているピュアな視線があって、それがこの人の透明感や、原田知世さんに共通する「聖少女」感を強めている気がするんです。そういえば、さくら学院の伝説の寸劇のタイトルは「時をかける新谷」だったなぁ。

独特のウィスパーボイスで歌われるシンプルで分かりやすい楽曲。初舞台の高揚もあってか、涙の量が多すぎた、とご自身も反省するくらい、まっすぐ王子様の心のゆらぎを演じる新谷さんを、共演者の阿部よしつぐさんが見事な演技で支え、時にはその新谷さんの感情の奔流に自分の思いも乗せながら、客席を熟達の技で涙に包んでくれました。本当に見事な手綱さばき。初めて知った役者さんでしたけど、劇団四季でバリバリに活躍されていた方なんですね。また新谷さんが、素晴らしい役者さんに出会わせてくれたなぁ。

充実した思いを抱えながら猛ダッシュして、BABYMETALの幕張二日目のステージにもぎりぎり間に合い、本当に満ち足りた一日を過ごすことができました。BABYMETALの感想はちょっと気持ちが落ち着いてからゆっくり書こうと思います。素晴らしい空間で、優しい声と歌と涙で、汚れたジジイの心をザブザブ洗ってくれた、新谷さん、阿部さん、滝澤みのりさん初め、スタッフの皆さん、素晴らしい時間と空間をありがとうございました。それにしてもこの新谷さんが演じた王子様を、小倉久寛さんがどう演じたのが、すごく興味あるわぁ。

realsound.jp

何度か引用させていただいた、演出の小見山佳典さんとプロデューサの小川仁美さんのインタビュー記事。他の童話の音楽朗読劇も実現したら見に行きたいなぁ。