北京五輪の開会式を見てちゃんと反省しませんか

先日終わった北京冬季五輪ですけど、あの開会式を、習近平帝国のプロパガンダ大会として非難する声や、少数民族を弾圧しながら諸国民の調和を歌う偽善を指弾する声とかはかなり厳しいものがあって、「中国開催もロシア参加も間違いだった」なんて言いきってる某新聞なんかもあったりしましたね。でも、あの開会式のイベントとしてのクオリティの高さを称賛したり、東京五輪の開会式と比較して自分を省みる声はほとんど聞こえなかった気がします。それはたぶん、東京五輪の開会式をあれだけ棄損した側の人間が、日本における言論の主流を占めているマスコミであったり、利益誘導と身内意識に凝り固まった既得権益の中枢にいる人たちだからなんだろうけどね。でも、中国という国の非道を声高にあげつらう前に、あれだけのクオリティのイベントを国を挙げて実現できてしまう彼の国の地力をまっすぐ認めるべきだし、それに比して日本という国は、「国を挙げて取り組む」イベントをまともに期日までに完成させることができない国になってしまったんだ、という反省をしっかりするべきなんじゃないかなぁ。

もちろん、コロナ禍という未曽有のハンデと日々闘いながら全日程を大過なく終了した大会自体の運営は素晴らしかったと思うし、関係者の方々は生涯誇れる素晴らしい成果だったと思うのだけど、だからこそ余計に、あの開会式の体たらくが本当に残念なんだよなぁ。もちろん、チャンイーモウという天才が全責任を負ってイベントを仕切る北京五輪開会式の構造自体が、彼の国の独裁的な政体と多様な意見を圧殺する国制を象徴している、と言えなくもないんだけど、いいものを作ろうと集ったクリエーターをよく分からない忖度や身内のしがらみで追い出したり、ひがみやっかみで互いに足を引っ張りあったりした挙句に、製作のための時間という大事なリソースを削り取ってしまった日本の愚行を見ると、単純に、もう中国には全然かなわないんだなぁって思っちゃう。

でもねぇ、パラリンピックの開会式は、北京より東京の方が間違いなく良かったです。一貫したストーリ、統一された世界観、布袋さん登場に代表される遊び心とインパクト、和合由衣さんをはじめとするパフォーマーの個性と熱演。今でも時々見返したくなる素晴らしいショウで、これができるのになんで・・・と思っちゃうんだよなぁ。あの五輪の開会式を見て、これが東京の実力だって思って欲しくないなぁ。