「Carry on」という楽曲のこと~「麻希のいる世界」を見た後で~

今日はさくら学院のことしか語りませんので興味のない方はここでご退場くださいね。先週末に東京フィルメックスでプレミア公開された、さくら学院の卒業生、新谷ゆづみさんと日髙麻鈴さんがW主演された映画「麻希のいる世界」。鑑賞後に心の中がざわついて仕方ないのだけど、1月の公開まではこの映画の内容には触れられない。なので、この映画を見た衝撃のことを、今日はちょっと別の切り口で語ってみようと思います。さくら学院の数ある名曲の中でも、自分的に一番好きな曲、「Carry on」をキーとして。さて、ちゃんとどこかに着地できる文章になるのか、自分でもよく分かりませんが、まぁとにかく書き始めてみましょうか。

さくら学院の楽曲には駄曲がない、というのは、サザンオールスターズから始まったアミューズの人脈と底力のなせる技なんだろうな、と思います。そして恐らくは、インディーズ、しかも小中学生アイドルユニットというこのグループの立ち位置からくる自由度の高さと若いスタッフの冒険心が結集されて、数々の妥協のない楽曲が生み出されたのかな、と思う。そんな冒険心と遊び心溢れたキラキラした楽曲達が、10代の少女達の情熱とMIKIKOイズムと結びついたさくら学院という場所は、色んな意味で奇跡の学校だったな、と改めて思います。

そんなさくら学院の楽曲の中で、自分的に別格に好きなのが、2018年度が生み出した「Carry on」という楽曲。さくら学院の楽曲の中では異色作とも言える曲で、さくら学院らしさが凝縮された「Jump UP」や「未完成シルエット」、最終年度が生み出した名曲「The Days」のように、夢に向かって挑み続ける少女達の日常や互いの心の絆を瑞々しく描いた曲とは少し毛色が違う。むしろ2016年度の「アイデンティティ」、2017年度の「My Road」から連なる、自分探しの旅をテーマとした楽曲の終着点に位置するような内省的な楽曲。最初にこの曲を聴いた時に、アコースティックで透明感と広がりのある大人びた曲調と、私みたいな中高年の心にも響く普遍的な歌詞がすごく印象的でした。

youtu.be

 

ぎゅっと握りしめたその手

そっと空っぽにしておかなくちゃ

真新しい未来を望んでも何も掴めない

きっと真っ黒な夜の帳にも

いろんな色が溶け込んでいて

見えなくても いつでも君を包む星屑の譜(うた)

 

さくら学院に多くの楽曲を提供してきたcAnoNさんの作詞。歌詞の中にもあるプライドや、深い霧に象徴される様々な迷いに目を眩まされても、目線を上げて心の中の目を研ぎ澄まして前に進もうとする主人公の姿は、確かにさくら学院らしい、と言えなくはない。でも、サウンドホーンの切迫した響きや楽曲全体を包む研ぎ澄まされた緊張感が、なんだか妙にヒリヒリした痛みを伴う感覚があって、この楽曲はそんなに単純な曲じゃないな、と思わせるものがありました。でもそれが何かはよく分からない。この大人びた楽曲を歌いきるに足りる歌唱力や表現力を持った麻生真彩さん、日髙麻鈴さん、新谷ゆづみさん、という2018年度の3人あっての深みのある名曲、という所で自分としてはとどまっていた気がする。

その後、メンバーの美しさが凝縮されたようなMVを見たり、ラジオ番組でソロバージョンとして麻生さんが歌ったり、2019年度が引き継いでライブで歌ったりするたびに、生徒さんたちのこの楽曲への思いの強さ、真剣さも相まって、自分自身の生き方を顧みるような思いを新たにしてきました。もう一度手のひらの中に抱え込んでいる無駄なしがらみやくだらない自尊心とかを捨て去って、ピュアに世界に向き合ってみよう、と思わせてくれる、自分にとってもとても大事な曲。

先日の「麻希のいる世界」を見た後、この「Carry on」を聞き直した時、この曲の持っていた緊張感の底にあるものがふっと見えた気がして、今まで聞いていた曲とは全然別の楽曲に聞こえてきたのが、自分としては本当に衝撃だった。ネタバレしないように言葉を選ぶけど、「麻希のいる世界」に描かれた、何かを求める強烈な思い、その思いが自分自身をどれだけ傷つけようとも走り続ける衝動のヒリヒリした切迫感って、「Carry on」の中に既に描かれていたんじゃないかな、と思ったんです。

 

ぎゅっと瞑ったままの瞼

そっと目を覚ましておかなくちゃ

海に溶ける太陽の笑顔にも何にも気づけない

きっと真っさらな水の鏡にも

いろんな音を響かせていて

波紋のリズムにのせて君を誘う風の口笛

 

「Carry on」で歌われる言葉達は、あくまで美しくキラキラしているのだけど、でもひょっとしたら、握りしめた手のひらが握っているものを手放すことは耐えきれないほどの痛みを伴うことなのかもしれない。瞑ったまぶたから閉ざされた現実世界は、目を背けたくなるような醜い感情に満ちているのかもしれない。真っ黒な夜の帳や、真っさらな水の底に潜んでいるものに、この歌の主人公はボロボロに傷ついているのかもしれない。あるいは傷つくと分かっていても、でもそれでも、見えない星屑の譜、聞こえない風の口笛を求めて、傷だらけで必死に手を伸ばしているのかもしれない。

自分の中で、さくら学院、という場所を聖域として、幼い子供達がキラキラ輝きながら夢に向かってただ前を向いて進んでいる場所、という綺麗な印象に染めてきたけど、そこで彼女達がどれだけ傷ついて、どれだけ血を流してきたか、あるいは血を流す覚悟を決めてそれでも挑んできたか、そこまで具体的に想像できてなかった気がする。「麻希のいる世界」で描かれる破滅の様相は衝撃的なものだけど、さくらの子達も映画の少女達と同じくらい、自分が破滅してしまっても夢に届くなら気にしない、とまで言い切れるくらいの激しい思いで、身を切る痛みを感じながら日々夢に向かって走り続けていたんじゃないだろうか。それは実はさくらの子達に限ったことじゃない、自分が子供だと思っていた若者達の中で、何者かになりたい、何か自分の生きた証を残したいと格闘している子達は、みんなこれだけ激しい覚悟や挫折感の中で生きてるんじゃないだろうか。

考えすぎかもしれないけど、いままで何度となく聴いてきた自分の愛聴曲とも言える曲が、一つの映画で全然様相を変えてしまったことが本当に衝撃的だったんですよね。世界を見る視線を変えてしまう映画体験って本当に久しぶり。もう30年近くそんな感覚を味わったことはなかったなぁ。

「麻希のいる世界」、1月に公開されたら、もう一回(一回で済まないかもしれんが)ちゃんと鑑賞した上で、しっかり感想を書こうと思っています。一つだけ今の時点で言えるとしたら、この映画は確かに見た人の世界の見方を変えるだけの力を持っている。この駄文を読んで、もし少しでも興味を持った人は、是非映画館に足を運んでほしいと思います。