画材としてのアイドルと作家さん達の関係って・・・

フェルメールが理想的な青を描くためにラピスラズリを用いた、とか、葛飾北斎が印象的な青を表現するために当時最先端だった画材の「ベロ藍」と言われる青の絵の具を使った、という話がありますが、先日、遠坂(えんさか)めぐさんというシンガーソングライターの方のツイートを見て、ちょっとそんなことを思い出したので、今日はそのことを。どう関係するのかさっぱり分かりませんね。ホントにつながるのかこの話。なんか教養ネタっぽく始まりましたけど、基本的にはさくら学院関係のヲタ記事なので、その方面にご興味のない方はここでご退出くださいね。

遠坂さんの曲は、「新曲」というMVがYouTubeで上がっていますけど、私小説的な等身大の世界を歌いながら、耳に残るメロディと、思わず「そうそう、あるある」と思わせてしまうようなテーマの普遍化やユーモアを交えて、最後にちょっと胸にグッとくるメッセージを投げかけてくる本当に素敵な曲です。

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そしてこの人を知ったのは、例によってさくら学院つながりなのだね。さくら学院の卒業生のシンガーソングライター、山出愛子さんに楽曲を提供したり共作をしたりしているのが遠坂さんで、このコンビの作品群がまたどれもいいんだ。「ピアス」「3月なんて」「365日サンタクロース」、どれも山出さんの伸びやかで瑞々しい声と、彼女自身の等身大の想いにシンクロした歌詞とメロディで泣かせる。

で、遠坂さんのツイートもフォローし始めていたら、「人に曲を提供する」、という行為自体に、作家としての遠坂さんが少しジレンマを感じてらっしゃるようなツイートがあったんですよね。「いい曲」を書こうとして出来上がった作品が、歌い手の「いい声」のおかげで評価される、という結果に対して、でも「いい声」を「いい声」として聞かせるための作曲上の様々な技術もあるわけで、それって要するに「いい曲」ということなんじゃないかな、みたいな文章。正確に遠坂さんの想いを汲み取れているとは思えないので、以下は遠坂さんとは全く無関係に勝手に話を広げていきます。

昭和の歌謡曲のことを思い出してみると、ヒット曲は「誰の作曲か」という点より、「誰が歌っているか」に重点が置かれてた気がするんですよね。筒美京平とか都倉俊一とかヒットメーカーと言われる作曲家はいたけど、その曲がヒットする理由の大きな要因は、それを歌っているのがいしだあゆみであるかピンクレディーであるか、という点が大きかった気がする。もちろんそういう歌い手さんの魅力を最大限に発揮するために、当時の作曲家は色々試行錯誤したとは思うのだけど。ちなみに先日知ったのだけど、渡哲也さんの大ヒット曲の「くちなしの花」ってのは、歌手じゃない渡哲也さんのために、作曲家の遠藤実さんが、できるだけシンプルに曲を作るように心掛けたそうで、そういう、歌い手と作曲家の綱引き、というか、コラボレーションというのは当時からあったんだと思う。でも、どちらかといえば、歌手の個性に引っ張られる力学の方が強く働いていたんじゃないかなぁ。

そのあたりの、作曲家と歌手の力関係、みたいなものが少し変化してくるのが、いわゆるニューミュージック界のシンガーソングライターさん達が、歌い手さんに楽曲を提供し始めた頃で、個人的には、薬師丸ひろ子さんや原田知世さんがそういう流れに先鞭をつけていた気がするんですよ。薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」がヒットした時に、「え、作曲来生たかおさんなんだ」ってちょっと驚いたし、原田知世さんの1stアルバムに坂本龍一大貫妙子がガチ参加してて驚愕したり。そのあたりから、作曲家・シンガーソングライターとして既にビッグネームになっている方々が、売れっ子のアイドルさんに楽曲を提供する、というのが普通になってきた。そもそも「楽曲を提供する」という表現自体、昔の昭和歌謡では存在しなかった気がするもんね。その楽曲が、「そもそも自分のもの」であって、それを他の人に「提供する」ということですもんね。

その頂点にあったのが、松田聖子さんだった気がします。財津和夫大瀧詠一松任谷由実、といった作家性の強い作曲家の楽曲でヒットを連発した松田聖子さん。このあたりから、「この人があの作曲家の曲を歌うんだ」という感覚が受け手側にも一般化したんじゃないかなぁ。そしてこの、松田聖子さんと言う方が、どんな楽曲も全て自分のものにしてしまう素晴らしい声と歌唱技術を持った歌い手だったから、「いい曲」と「いい声」のコラボレーションがものすごくうまく行ったのかなって思う。

想像ですけど、こういう「いい声」に対して曲を書くのってすごく楽しかっただろうなって思うんですよ。この人が持っているこの声の魅力を活かそう、とか、この人はまだ自分自身気づいていないけど、こんな声の色合いもきっと出せるはずだって、ちょっとチャレンジングな曲を提供してみる、とか。そして松田聖子という稀代の歌い手は、そういう作曲家の挑戦に対してしっかり応えられる努力と能力を備えていた人だったんだろうなって思う。

ここで、冒頭の文章に戻ってくるんだけどね。要するに、松田聖子さんっていうのは、一種の「万能の絵の具」みたいなものだったのかもなって思うんです。その作曲家が本当に表現したいもの、挑戦したいものがあって、でも、それを実現できる声を持っている歌い手さんはなかなかいない。そう思った時に、松田聖子さんという「声」=「絵具」に出会えた作曲家さんって、すごく世界が広がった感覚がしたんじゃないかな。ラピスラズリや「ベロ藍」の青を見たフェルメール北斎が、「この青で描きたいものがあるんだ!」と心ワクワクしたみたいに。

最近になって、音楽業界も層が厚くなり、様々なジャンルへの細分化や、インディーズみたいな一部の熱狂的なファンを持つ作家さんが増えていて、歌い手と作曲家の力関係というのが微妙に変化しているのかもって気もします。坂グループみたいにプロデューサーのコンセプト色が強すぎるグループは別として、ある意味、色の個性がまだくっきりと出ていない若いアイドル達に楽曲を提供する、作家性の極めて高い職業作曲家のような人たちが結構いるのかもしれない。その最大の成功例の一つが、BABYMETALだと思うんだよね。若い、まだ色がついていない、でも間違いなく何十年に一度の逸材である中元すず香、という「画材」を使って、カワイイとメタルの融合というコンセプトを表現してみようって集った作家さん達は、本当に楽しかったんだろうな。

でも、BABYMETALの母体の「さくら学院」という場所自体が、そういう、作家が自分の表現を実験する場所、まだ個性が出ていない表現者の卵たちという「画材」に、自分の作品を提供する場として機能していたんだと思うんです。さくら学院に楽曲を提供した作家さんたちが、学院の閉校を惜しんでいる声を寄せているのを見ると、こういう真っ白な「画材」で自分の思う絵を描いていく楽しさを作家さん達自身も感じていたのかなって思う。だから余計に、閉校が残念でならないんだけどね。才能ある作家さん達の表現の場が失われてしまう、という寂しさ。

さくら学院の卒業生で構成されたガールズユニット@onefiveも、作家さんの表現手段、「画材」としての可能性の高いグループで、先日のクリスマスライブ配信でも、このグループとELEVENPLAYの丸山未那子さん(MARUさん)が作り上げたダンス作品のクオリティの高さにあっけに取られました。さくら学院にハマってしまったのは、まだまだ素材感の強い生徒さん達が表現者として成長していく過程と物語の深さが大きな理由なのだけど、遠坂めぐさんやMARUさんのような作家さんが、素材としての生徒さんや卒業生の能力や伸びしろを見極めながら生み出していく作品群が、制作過程のそういうせめぎ合いや葛藤を内在していて、その葛藤自体が作品のパワーを高めていることも一因なのかなって思います。これからもこの才能あふれる学院の卒業生たちが、素晴らしい作家さんの「画材」として素敵な作品群を生み出していくのを見守っていけたらって思います。