さくら学院の閉校と美徳の凋落、あるいは、日本の地方の地盤沈下について

さて、今日はさくら学院のこと書きます。と言いつつ、タイトルがなんだか大仰なのはいつものことですが。例によって興味のない方はここでご退場くださいね。

さくら学院の一年後の閉校、という衝撃的なニュースが9月1日に発表されてから中々立ち直れなかったんですが、新年度もスタートし、ラスト一年となった8人の現役メンバーが、それぞれに与えられた役職に正面から向き合う覚悟を決めたキラッキラの表情を見て、もうとにかくラスト一年見届けるしかないな、とは思っています。思ってはいるけどこの喪失感の大きさって何なんだろう、と考えた時に、単なる推しのアイドルグループの活動が終わる、というより、何かしらもっと大きな価値、というか、自分にとって大事にしていたものが失われてしまった喪失感なのかなぁ、なんて思っていて。それがある意味確信に変わったのが、先日のfreshで放送されたオリエンテーションで、佐藤さんが身長測定の前に、自分が脱いだ靴をきちんとそろえているのを見た瞬間なのだね。サドの「悪徳の栄え」的に言えば、「美徳の凋落」というか。

私みたいな昭和世代が「アイドル」といって最初に思いつくのは、ピンクレディーキャンディーズ山口百恵桜田淳子、といった70年代アイドルなのだけど、彼らの存在の前に「元祖アイドル」ともいえる存在がいて、それって吉永小百合さんに象徴される「聖女」的な存在だったんだよね。ある意味非現実的なくらいの清潔感、清楚感を持つ手の届かない偶像。その偶像をもっと身近な、隣のお姉さん、と言う感じの親しみのある存在にしたのが70年代アイドルの特性だったのかな、と思うし、さくら学院の生徒さんにも、「近所に住んでいるしっかりしたお嬢さん」という感じの70年代アイドル的親しみも感じる。

でも、先日のfreshの佐藤さんの姿や、いみじくも2018年度卒業生三人を迎えた「もちこみっ」の放送で、田野アサミさんが、「こんなに真っ直ぐご挨拶してくれるしっかりした子たちはいない」とおっしゃって、森ハヤシ先生が、「そりゃポテンシャルの差でしょ」とおっしゃったエピソードなどが示すように、さくら学院の生徒さんに共通する、「行儀のよさ」「清楚感」「ステージにかける真摯な姿勢」といった様々な「美徳」の数々は、吉永小百合さんのような戦後銀幕のスター達、いわゆる「偶像」が必ず備えていた特性でもあった。「この子たちは本当にしっかりしているね」と言われるさくらの子たちの備えていた「美徳」というのは、アミューズという育成機関で学んで備わったもの、というより、森先生のいう「ポテンシャル」、つまりは育った家庭環境やご家族のしつけ、教育方針による部分が大きいんじゃないかな、と思うんだよね。

さくら学院の生徒さんの出身地が、近年とみに地方に偏っていた、というのも、偶然ではない気がしていて、要するに昭和の銀幕スターが持っていた美徳を美徳として維持していたシステム、古き良き日本が持っていた「家庭でのしつけ」「基本的な行儀作法」というのが、日本の地方では今でもきちんと継承されている、ということなんじゃないかと。首都圏のように核家族化が進んでいる地域でお子さんの教育や古き良き行儀を支えるのはご両親に負担が集中してしまって至難なんだろうけど、おじいさんおばあさん世代がお孫さんにそういう基本を伝える機会がある地方でなら可能なのじゃないかな、と。新谷さんをはじめとして、地方出身のさくらの子たちは、よくおじいさんおばあさん世代のサポートへの感謝を口にするのだけど、そういう地方ならではの家族ぐるみの「美徳の継承」が、さくらの子たちの「ポテンシャル」を支えていたんじゃないかな、と思うんです。

佐藤さんの行儀のよさにそういう姿を垣間見た気がした反面、逆にそういう子たちをさくらの転入生として見つけてくることがすごく困難になってきたのじゃないかな、と。さくら学院の転入生候補生であるアミューズキッズの数が近年非常に減ってきているのは、日本の少子化の影響かな、とか、アイドルや芸能活動に子供を従事させたいという親御さん自体が減ってきているのかな、とも思うのだけど、何より、アミューズが考える、「基本的な家庭の躾ができているお子さんと家族のサポート」がしっかりしているお子さんが少なくなっているのじゃないかと。

地方豪族、という言い方をすることがあって、地方で成功している裕福なお家のお子さんが、祖父母世代も含めた家族のバックアップを受けて芸能活動で成功する、というモデルが存在してたんじゃないかな、と思うんですよね。その中での精鋭たちを集めたのがさくら学院だとするなら、さくら学院の閉校というのは、そもそもそういう人材を育成し供給する地方のシステム自体が機能しなくなっていることを意味するのじゃないかと。

地方でそういう「美徳を維持するシステム」の中核を担っていた祖父母世代の高齢化、というのもあるだろうし、地方自体の経済力の弱体化で、首都圏にあるレッスン場に毎週のように子供たちを送り出せる経済力のある「地方豪族」ともいえる裕福なお家も少なくなっている、というのもあるかもしれない。いずれにせよ、日本の地方が高齢化と経済的な地盤沈下で衰退し、「美徳の維持システム」が機能不全を起こした結果が、さくら学院の閉校という現象の背景にあるんじゃないかな、と。

コトを大きくとらえすぎ、というご意見もあるだろうけど、さくら学院の閉校、というニュースに触れた時に感じた喪失感やがっかり感というのは、自分が属していた「昭和」という時代の持っていた美徳を若い世代がしっかり守ってくれている、という頼もしさや喜びが失われた喪失感や、昭和の美徳を失った日本の将来に対するがっかり感だったりするのかも、と思っちゃうんです。それくらい自分の喪失感が大きいことに改めて驚いたりしているけど、とにかくこの奇跡のようなグループが10年も続いたこと、卒業生含めた36名と、このグループの活動に様々な形で関わった方たち(森ハヤシ先生はじめ、田野アサミさん、宮木あや子先生、山下良平先生など)をこれからも「父兄」として応援し続ける幸せと、その幸せをくれたこのグループに出会えたこと、この奇跡の学校を10年維持し続けた職員室の先生方、そして何より、この「さくらの子」たちをこの世に送り出し、その美徳を支えてくれたご家族の方々に感謝したいと思っています。これからも36名の応援は続けますよ。2018年の三人のうち、新谷さんは大活躍だけど、日髙さんも麻生さんも絶対出てくるし、@onefiveはビジュアルもパフォーマンスも一級だし、大賀さんの今後の活躍も楽しみだし。「父兄」やめる時は死ぬ時だからねぇ。