この日記の更新もずいぶん滞っております。実は、4月1日から新しい職場に移り、そのばたばたと演奏会の準備が重なって、なかなかこの日記に更新にまで手が届きませんでした。先日、その演奏会、Singspielersのさろん・こんさーと(Act.3)、「オペレッタの中の『ラ・ボエーム』」が終演。やっと一息ついたので、この演奏会で自分が使ったナレーション原稿を紹介したいと思います。今回の企画、19世紀末から20世紀初頭のパリ、という、大好きな時代、場所をテーマにしただけに、ナレーション原稿もいつもよりずいぶん力が入りました。なので、今回はその前半のみをご紹介。
当日配布したパンフレット。我が家の手作り。受付その他のスタッフはすべて、出演者の配偶者、という家内制手工業です汗
「オペレッタの中の『ラ・ボエーム』」
・1曲目:カールマン作曲「モンマルトルのすみれ」から「パリの恋人さグリゼットは」
皆様、本日は、Singspielersのサロンコンサート、Vol3、「オペレッタの中のラ・ボエーム」にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。
3回目となった今回のサロンコンサートのテーマは、有名なプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」。
1859年に発表された、アンリ・ムルジェという人が書いた、「ボヘミアン生活の情景」という小説が原作のこのオペラ、パリのカルチェ・ラタンに住む若者たちの恋を描き、いまや世界で最も人気の高いオペラの一つと言えると思います。
登場人物や物語については、お手元のパンフレットに掲載のあらすじをご一読いただくといたしまして、実は、このオペラ、19世紀末から20世紀初頭にかけて、パリ、ウィーンで大流行した、セリフ付きの歌劇、オペレッタに、大きな影響を与えているんです。
今回のサロンコンサートは、これらのオペレッタの中で、「ラ・ボエーム」がどんな形で取り上げられたか、そして、なぜ、オペレッタはこんなにも「ラ・ボエーム」を愛したのか、という点について、皆さんと一緒に、ひも解いていきたいと思います。ということで、今日は今までに増して、ちょっとこの前口上が長くなります。何卒ご容赦ください。
さて、冒頭にお送りした、カールマン作曲「モンマルトルのすみれ」は、まさに「ラ・ボエーム」をそのまま原作にしたオペレッタ。
「ラ・ボエーム」そのままに、貧しい中に夢を追いかける若者たちの群像劇で、「ボヘミアン生活の情景」の原作者である、アンリ・ムルジェ本人も登場します。
そして、この歌のタイトルが、「パリの恋人さ、グリゼットは」。
グリゼット、「お針子」とも訳されますが、これはまさに、19世紀末のフランスが生み出した時代の申し子と言えます。
産業革命によって都市化が進み、富が都市に集中すると、貧しい生まれの若い女性たちは、仕事のない地方から、親元を離れ、生活の糧を求めて、パリなどの大都市に集まってきます。
そこで彼女たちは、自分で手仕事をして働いて生計を立てながら、一人暮らしをする自由を得ます。家庭から離れて自活する「働く女性」の誕生ですね。
しかし、彼女たちの自由はもちろん、貧しい生活と裏表。
よりよい生活を求めて、自分たちの「女性」という商品をお金に換える生き方を選ぶ娘たちが後を絶たなかった。
つまり、お金持ちのお妾さんになって贅沢な生活を送ることは、貧しい彼女たちにとって、一つの現実的な夢だったんですね。
「ラ・ボエーム」のヒロイン、ミミやムゼッタも、貧しさに耐えかねて金持ちの囲い者になりますが、これは決して特別な例ではなかったのです。
実は、まさにこの「グリゼット」から、皆様もよくご存じの世界的なファッションデザイナーにまでなった方がいらっしゃるんですが・・・誰だかご存じの方はいらっしゃいますか?
そう、ココ・シャネルです。
孤児院で育ち、パリでお針子をしながらキャバレーで歌っていた彼女は、将校の愛人となって、帽子のデザインで頭角を現します。
彼女はまさに、当時パリに群がった数多くのグリゼットが夢見た成功物語そのものでした。
グリゼットがみたもう一つの夢物語は、素敵な若者と恋をし、その若者が実はお金持ちだった・・・という、玉の輿に乗ること。
実はこれも、決して実現不可能な夢ではありませんでした。
「ラ・ボエーム」に出てくる主人公、ロドルフォやマルチェッロは、詩人や画家、つまり芸術家です。
そういう教育を受けることができたインテリである時点で、実は、彼らは、それなりの経済的な背景を持っているんですね。簡単に言えば、実家は金持ちだったりするんです。
そういうお金持ちの貴族やブルジョワのボンボンが、芸術にかぶれて実家を飛び出し、パリで武者修行してたりする。
そんな若者のたまり場になったのが、カルチェ・ラタンや、モンマルトル。
うまく芸術家になれればそれで食っていけるし、売れなきゃ実家に戻れば十分裕福に暮らせる。
グリゼットからすれば、そういう若者を捕まえて結婚できれば、玉の輿。
これからお聞きいただく「私の名はミミ」は、「ラ・ボエーム」の中でも最も有名なアリアの一つ。
主人公のグリゼットであるミミが、初対面の詩人、ロドルフォに向かって自己紹介をする歌ですが、これはまさしく、お見合いの時の自己紹介書の歌です。
ミミは生活のために自分の性を売っていますが、ロドルフォのような若者と幸せになる夢に賭けてみたい、という思いもある。
「私、恋人募集中ですけど、どうでしょう?」という、積極的なアプローチの歌、今どきの言葉で言えば、婚活の歌なんですね。
まぁでも、可愛い御嬢さんがこんなに素敵な歌を歌って、「恋人募集中です」なんて言って、くらっとこない男はいない、ということで、ロドルフォは一瞬で、ミミと恋に落ちます。
では、お聞きいただきましょう。「私の名はミミ」。
・2曲目:プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」から「私の名はミミ」
19世紀末のパリ、という、時代と場所が生み出した魅力的なグリゼットたち。彼女たちは国境を越え、オーストリアのウィーンで作られたオペレッタに、ヒロインとして数多く登場します。
理由の一つは、オペレッタそのものが、パリで生まれ、ウィーンで発達した、という歴史、あるいは、ヨーロッパにおいて、パリという街が、文化の発信地、憧れの地だった、ということが、一番大きな理由だとは思います。
でも、私はもう一つ理由があるんじゃないか、と思うんです。それは、ウィーンに数多くいた、没落貴族、という存在。
産業革命が進み、貴族社会という古い秩序が、お金を持っているか持っていないか、という、貨幣経済の秩序にとってかわった19世紀。
ハプスブルグ帝国の権威が長く保たれたウィーンでは、貴族社会の古い秩序がまだ色濃く残っていたと思うのですが、一方で経済的に失敗して没落する貧しい貴族が多数発生していた。
そんな社会的な背景があって、古い秩序と新しい秩序のぶつかり合い、葛藤が、より身近で刺激的な社会的テーマとして、受け入れられたのじゃないか、と思うんですね。
色々難しいことを言いましたけど、分かりやすい例を挙げますと、ウィーンのオペレッタには、貴族と平民の間の身分違いの恋、あるいは裕福な貴族に愛された平民のサクセスストーリー、というテーマがやたらと出てきます。
有名なヨハンシュトラウスの「こうもり」では、平民出身のアデーレという女中さんが、ロシア貴族をパトロンにして女優としてデビューします。
カールマンの「チャールダッシュの女王」というオペレッタでは、平民の歌手シルヴァと貴族の青年エドウィンとの身分違いの恋がメインテーマ。
レハールの「メリー・ウィドウ」でも、ヴァレンシエンヌ、という元踊り子の女の子が、ツェータ男爵という貴族の後妻さんに納まっている。
つまり、パリのグリゼットや踊り子といった、貧しい家の出身の女の子が、貴族の奥様になる、という、玉の輿のシチュエーション自体が、価値観の大きな変動を迎えていたウィーンに、無理なく受け入れられたんじゃないか、と思うんですね。
さて、そんな身分違いの恋をテーマにし、パリのモンマルトルを舞台にした、オペレッタ版「ラ・ボエーム」のもう一つの作品、レハール作曲「ルクセンブルク伯爵」から、一曲お聞きいただきます。
パリオペラ座のプリマドンナ、ディディエ嬢に入れ込んでしまったバジール侯爵は、身分違いの恋を成就させるために、ディディエ嬢を、モンマルトルでくすぶっている貧乏な没落貴族、ルクセンブルク伯爵ルネと結婚させようとします。
ルネには大金を支払い、そしてすぐ離婚させれば、「元ルクセンブルク伯爵夫人」ということで、身分の釣り合いが取れる、というわけですね。
そう、このディディエ嬢も、パリのグリゼットの一人なんです。
ルネとディディエ嬢は、形だけの結婚のため、双方の顔を見ないように、間に衝立を立てて、結婚指輪を取り交わします。
でも、衝立越しの声と、わずかに触れ合った指先だけで、二人は恋に落ちてしまうのです。
「ルクセンブルク伯爵」から、「左と右へ、男と女」を、お聞きください。