娘の高校の部活がサラリーマン&青春

以前からこの日記で何度か触れておりますが、うちの娘は高校の部活で、音楽部に所属してチェロを弾いています。吹奏楽部じゃなく、オーケストラがある、というのが、さすがに音楽大学を併設している高校。指揮者の先生も、併設されている音楽大学の教授がいらっしゃっており、多数の楽器も学内に備わっていて、環境的には非常に恵まれています。

今年は娘の学年(高校二年生)が部活の幹部学年、ということで、娘は「曲決め委員長」という役職に就いています。文化祭、定期演奏会などのイベントごとに、何を演奏するか、を決めていくプロセスの仕切り役。色々とすったもんだを経て、先日やっと、9月の文化祭で演奏する曲が決まった、と歓喜のメールが届きました。娘が時々ぽろりぽろりと報告してくれる決定のプロセスの紆余曲折が、あまりに青春しつつ、一方であまりに日本のサラリーマン社会(娘は中間管理職的役回り)っぽく、女房も私も一喜一憂しながら、考えさせられることも多かったので、ここでちょっと振り返ってみます。とはいえ、娘の報告をベースにしているので、極めて一面的な視点だし、さらに私に報告してくれた部分だけを書いているので、かなり現実から乖離している可能性もあること、ご了承ください。半分以上、「事実に基づいたフィクション」ということで受け取っていただければ。ちょっと長文になりますが、ご容赦のほど。

曲決めにあたって、娘が立てた基本戦略が、「イベントごとに、何か共通のテーマを設定しよう」という作戦。みんなの希望をただ機械的に投票して多数決で決めていく、という方法を取ると、脈絡のない曲がずらずら並んでしまって収拾がつかなくなる可能性がある。一つの統一したテーマのもとに選曲していけば、議論が拡散しない。

それでもみんなに、やりたい曲を出せ、と言うと、全部で100曲もの候補曲が出てきて、「これを全部聞かなきゃいかんのだよ。曲決め委員長なんだから」と、毎晩毎晩YouTubeで聞きまくっておりました。委員長は客観的な立場で選曲をしなければいけない、とはいえ、やはりそこは「娘のやりたい曲」というのもいくつか出てくる。その中でも、娘が「これは絶対、どうしてもやりたい!」と思い入れたのが、ボロディン作曲のオペラ「イーゴリ公」の、有名な「韃靼(だったん)人の踊り」(いまはホロヴェッツ人の踊り、というそうだが)。

誰もが耳にしたことのある雄大なメロディーと、華やかな群舞を導く勇壮な展開部で、否応でも盛り上がる曲。「韃靼人をやりたい!」と、家でも娘がずっと口癖のように唱え始める。確かにかっこいい曲だし、若いオーケストラが挑戦しがいのある曲だよね、と、家族で話す。

ところが、そこで大きな壁にぶつかる。音楽部とはいえ、全員がクラシック曲に詳しい子たちばかりではない、という壁。やりたい曲としてみんなが出してくる曲は、ディズニーやジブリを中心とした映画音楽やポップス系の曲がどうしても多くなる。「韃靼人の踊り」と聞いてもピンとくる子が少ない。音楽を聞かせても、耳慣れていないものだから、「へえ」程度で終わってしまう。どうしたらいいんだ。

壁にぶつかる娘に、強力な援軍が登場。顧問のH先生が、「韃靼人はいいね。絶対やろう!」と味方に付いてくれました。「なんだかよく分からないなー」という部員に対して、曲の魅力、挑戦することの意義などを、H先生のお知恵も借りつつ、娘が切々と説いて回る。そのうち、部員の中からも、「韃靼人、かっこいいよね」という声が増えてくる。その他、部員が上げてきた映画音楽などもちりばめ、数曲の候補曲が決まったところで、娘の表情が曇る。「これをS先生に説明しないといけないんだ」

指揮者のS先生。ある意味子供たちにとっては神様のような方で、毎回の演奏会でも、子供たちの挑戦できるぎりぎりのところまで攻めつつ、作品が破たんしない程度に手綱を締める、絶妙な指揮で、女房も私もいつも感心する、確かな指導者です。しかし、曲決め委員長からすれば、この指揮者の先生から「ダメ」と言われれば、部員が決めた曲は全て水泡に帰してしまう。言ってみればラスボス。

また候補曲を選ぶところから始めないといけないの?と聞くと、「全部ゼロからになるんだよ!」と。「S先生の言われた通りにしたら、それはそれで、部員のモチベーションが下がるでしょ?部員のやりたい曲と、S先生がやりたい曲の間を、ちゃんとすりあわせないといけないんだよ!」

・・・それって、部下が徹夜で作成した事業計画を社長に持って行って、ちゃぶ台ひっくり返されてすごすご帰ってきて、部下に罵倒された「いつかのオレ」・・・?

と、身につまされつつ、なんとか曲決めがいいところに着地してくれるように、と、次第に親の方もドキドキハラハラしてきます。そして、S先生への上申があったその日。娘は真っ青な顔をして帰宅。

「S先生が全然違う曲出してきた」

・・・社長に、「こういうことはできないの?具体的なやり方は任せるからさ」と突然言われて、真っ青になって帰って部下に罵倒された「いつかのオレ」・・・?

再度、部員と、H先生とで、S先生が出してきた候補曲も含めて選曲のやりなおし。S先生のアイデアについては、年度末の演奏会で検討することにして、文化祭は、S先生が推薦した作曲家の別の作品を取り上げる、ということでなんとか納得してもらおう、という話になり、部員としての候補曲がほぼ固まったところで、今度は別のところから難題が突きつけられる。突然一部の管楽器パートから、

「候補曲に出てくる高音を出せる吹き手が一人しかいない」

という声が。

吹ける技量のある吹き手一人に、そのパートの高音を全部吹いてもらうと、あまりに負担がかかりすぎる。その吹き手は娘の友達なのだけど、音楽部の中でも特に忙しい役職に就いていて、演奏以外のところでも負担が大きい。その子と同じくらい技量の高い子が育っていない・・・というのが一番の問題なのだけど、「一つのパートの技量に合わせて、難易度の高い曲を全部諦める、というのは筋が違う」という話になり、幹部学年の中で喧々諤々の議論になる。

結果的に、高音部分は他の楽器が助けるように編曲して乗り切ろう、ということで解決策を見出したのだそうだけど、矢面に立たされつつ、議論の間はじっと健気に耐えていた娘の友達があまりに可哀そうで、会議のあと、学校の近くの島忠のフードコートで、いろいろ愚痴を聞いてあげたんだそうです。すると、フードコートの入り口の柱のあたりで、何か見たような顔がこちらを伺っている。同じ幹部学年の友達が、心配になって駆けつけてきて、こっそり様子を眺めていたんだって。結局、みんなで、落ち込む娘の友達を慰めたんだと。ううむ、あおはる〜。島忠のフードコートってのがまた実に、あおはる〜。

そして部員たちが決めた候補曲が、「パイレーツ・オブ・カリビアン」「キャンディード序曲」「タイタニック」そして、「韃靼人の踊り」。テーマは、アメリカ大陸から大西洋に船出し、ヨーロッパを経て、さらにユーラシア大陸の平原へと繰り出していく世界一周の旅、ということに。

バーンスタインアメリカだから、アメリカから出発して大西洋へ、そしてユーラシア大陸へ、みたいなことでつながるかな、と思ってさ。タイタニックが沈んだのも大西洋でしょ」と娘が言い、私が、「キャンディードっていうオペラ自体、大西洋をぐるりと一周する壮大な旅の物語なんだよ」と話す。「いいテーマだね」と家族で話すのだけど、娘がまた緊張した顔をして、「これでS先生にもう一度持っていかないと」と。またちゃぶ台ひっくり返されたどうしようか。

そして、S先生へ選曲結果を報告に行く当日。女房や私も含めてドキドキしていたら、娘から、「S先生のOKが出ました!」とのメールが来ました。よかったね、と胸をなでおろす。

「とてもいいテーマだと思うって、S先生が言ってくれた」と、一仕事終えてほっとする娘に、父母もほっと一息。もちろんこれがスタートで、いい本番になるように、練習にあけくれる青春の日々が始まるわけだけど、高校生の段階から、日本的組織運営プロセスと、中間管理職の悲哀を身を持って学んでいる娘の姿に、他人事とは思えないシンパシーを感じてしまいました。いや、他人じゃないんだけどね。