去ってしまった人を活かすのは残された者たちの務めだから

後藤健二さんの事件について、色んな人が色んな立場で発言されています。この日記は私の政治的な立ち位置を表明する場所ではないので、そういう目線での発言はしませんけど、発信される言葉やその量を見ていると、なんだか、彼を殉教者みたいに祭り上げる言葉が多くなってきている気がして、ちょっと危なっかしいなぁ、と思う。今回の事件で彼の過去の発言や行動も含めて注目が集まっているし、その行動力や発信力に対して尊敬や敬意も感じます。でも怖いなぁ、と思うのは、「後藤さんかっこいい!オレもいっちょイスラム国に行って注目浴びてみっか」みたいな連中が出てこないかなー、という危惧を感じるから。

後藤さんが「何が起こっても自分の責任、シリアの人々を責めないで」というビデオを残して旅立ったのは、自分の行為によって複数の国家の政府まで巻き込んだ大変な事態が招来されるかもしれない、たくさんの人に迷惑をかけるかもしれない、それは申し訳ないと思うけど、でも、そういうことも全部、自分が背負わねばならない責任として、自分は行かねばならないのです、という覚悟と意思表明であり、その後の彼の行動は、その覚悟に沿ったベストな行動だったのだろうか、再び彼のような状況に陥らないために何が必要なのか、という観点で冷静に分析されるべきだと思う。何が言いたいかといえば、そういう覚悟や意思や目的意識も持たず、最大限のリスクへの十二分な準備や段取りもできない人間は、間違っても彼の真似をしちゃだめだぞ、ということ。なんかそういうアホタレが出てきそうですごく嫌なんだよねー。

後藤さんが本当にそういう覚悟を持っていたのか、結構ハンパな気持ちでホイホイ行っちゃったんじゃないのか、みたいな非難をする気は全くなくて、恐らく今の日本で、あの場所に赴くことのリスク認識とそれに対する準備能力において最も傑出した人々の一人だったと思います。でも、だからと言って、すごい覚悟と自覚を持って自分の身をジャーナリズムに捧げた殉教者、みたいに聖人化するのは危険だと思うんです。ただでさえ、日本という国は、無謀な計画や不十分な準備のままに死地にわが身を投げ出していくカミカゼ精神を尊んだり、死んだ人はみんな神様仏様、死者に鞭打つやつは人非人、みたいな空気がすぐ醸成される国だから余計に怖い。後藤さんという人が残したこと、素晴らしい成果も、充分準備した挙句の犠牲も、プラスのこともマイナスのことも全部ひっくるめて、彼のことを忘れずにどう活かすのかを真剣に考えるのが、生きている側の責任だと思う。

ここから突然、全然関係ない話になります。先日、2月1日に、所属している合唱団「麗鳴」の演奏会が終わりました。府中の森芸術劇場のウィーンホールでの演奏会。隣のドリームホールで府中最大級の合唱団の演奏会があり、お客様が分かれてしまうかも、と集客には不安もあったのですが、ふたを開けてみれば、ウィーンホールがほぼ満席に見える400人を超えるお客様が集まってくださいました。ご来場くださったお客様方には本当に感謝です。

今回、演出付きステージの演出とナレーションを担当したのですが、そこで一つこだわったのは、子供さんに出演してもらうこと。冒頭に子供が出てきて、歌い手たちに花を手渡し、歌の途中で去っていく、そこで歌い手たちは何かを失った大きな喪失感を味わい、そこから歌の力で立ち直っていく、という演出にしたのですが、そのシーンを思いついた時、私の頭にあったのは、2006年の1月29日に、わずか6才で脳腫瘍を患い、天に召された、娘の友達のFちゃんのことでした。

Fちゃんのことは、この日記に何度も書いているけど、今でもずっと私の頭の中にあって、何かあるたびに彼女のことを思い出します。お葬式の日が凍てつく寒さだったこと、その寒さの中で、ご親族と一緒に担いだ小さな棺のこと、そのあまりの軽さに涙が止まらなかったこと。

Fちゃんを失った喪失感から立ち直って、前を向いて日々暮らしているご家族のことを考えると、何の力にもなれないけれど、我々にできることは、何かあるたびに彼女のことを思い出すこと、忘れないでいることだ、といつも思う。そんな思いから、どうしても子供さんたちに出てほしい、とこだわって、そして舞台の最後には、冒頭に出てきた子供たちが戻ってきて、次の時代へと旅立っていく演出にしました。失われたものは戻ってくる。姿かたちは全然変わっているかもしれないけど、我々が忘れないでいる限り、必ず戻ってくるのだと。

素人演出家の拙い演出プランを受け入れてくれて、機会をくださった指揮者の中館先生、ギリギリまで続いた出演依頼を受けて下さった子供さんの保護者の方々、素敵なお芝居をしてくれた子供たち、必死に暗譜に頑張ってくれた団員さん達、たくさんの拍手をくださったお客様、この舞台に関係した皆さんには感謝の言葉しかないのですけど、私は私なりに、あの場にいた皆さんの心に、私の中にいるFちゃんの思い出のかけらを配れた気がして、本当に嬉しい舞台になりました。天に召された人たちの思いを活かすのは、地上にいる僕らの義務だから。天使になったFちゃんも楽しんでくれたのならいいな。「おじさん相変わらず歌が下手だねぇ」とか言われそうだけど。


団員さんデザインのパンフレット。愛する人そばに連れて、ひたすらな道を天辺目指して歩く音符たち。