塗り重ねてきたものだけが

朝ドラの「マッサン」が視聴率好調みたいだけど、我が家のベスト朝ドラといえばなんといっても、2007年に放送された「ちりとてちん」。今思い返してみても、沁みるエピソードや深いセリフがちりばめられた傑作だったと思います。落語、という舞台表現を扱っている点でも、我々みたいな舞台パフォーマンスに関わっている人間の胸に響くところが多かった。中でも一番心に残っていて、今でも時々思い出すのは、故米倉斉加年さん演じる塗り箸職人の父親が、漆で何度も箸を塗り、磨き、塗り、という工程を繰り返しながら、自分に言い聞かせるように呟いたセリフ。「人間も箸とおんなじや。磨いて出てくるのは、この塗り重ねたものだけや。一生懸命生きてさえおったら、悩んだことも、落ち込んだことも、綺麗な模様になって出てくる」

8日日曜日、東京シティオペラで女房がお世話になっているテノール歌手の川村敬一先生の歌う、シューベルトの歌曲「冬の旅」全曲演奏会がありました。昨年の年末になって、突然川村先生から、「手伝ってくれないか」と声がかかる。「冬の旅」を初めて聞く人にも分かりやすいように、ナビゲーターのような役割をやってくれないだろうか、と。

最初は、普通の演奏会のMCのような役割を想像していて、曲目解説とか、先生の演奏会にかける意気込みとかを盛り込んだ初稿台本を作ったのですけど、先生から、「もっとお芝居にしてほしい」と言われました。「シューベルト、あるいは詩人のミュラーになり切って、冬の旅を旅する『旅人』として演じてほしい」と。おお、そうなるとほとんど「共演」ではないかいな。

そもそも先生からこんな話をいただいたのは、女房と一緒にやったGAG公演を川村先生が見に来てくれて、そこで私の朗読パフォーマンスをご覧になったのがきっかけ。演技をしながらの朗読、となれば、GAG公演でこれまで「塗り重ねてきた」ものを精一杯出せる。こんな素晴らしい機会はない、と、かなり張り切りました。シューベルトの生涯や、「冬の旅」の成立過程をネット上で検索しまくり、勉強し、単なる歌詞の朗読じゃなく、一つの一貫したドラマを作り上げていく。勉強しては台本を練り、それを実際に喋ってみては、ピアノの大杉祥子先生や川村先生のイメージとすり合わせていく。塗っては磨き、塗っては磨く塗り箸の作業工程のよう。そういう作業を繰り返すうちに、「冬の旅」の旅人とシューベルト自身がどんどん重なって見えてきて、歌曲集そのものへの興味も高まり、モチベーションがどんどん上がっていく。

一方で、プレッシャーもどんどん高まってくる。川村先生が初めて「冬の旅」を歌われたのはまだ先生が学生の時、今から40年以上前。それから何度も全曲演奏にチャレンジしているけれど、最後に歌ってからもう20年経っている、とおっしゃる。その長い年月、川村先生が「塗り重ね」てきた技術や経験の全てを、一つの集大成としてこの演奏会に込めたい、とおっしゃる。そんな記念碑的な演奏会を、アマチュア舞台人に過ぎない私の素人芸で壊してしまったらどうしよう。

さらに聞けば、川村先生の主宰する東京シティオペラの本公演のナレーションを長年担当されている矢島正明先生がいらっしゃる、という。日本に「声優」という職業を確立した開拓者であり、カーク船長や「逃亡者」の冒頭ナレーションで活躍された声優界の生き神様。今回の私の役割だって、矢島先生が本来やるべきところ、ご体調や練習スケジュールの関係で私に回ってきたようなもの、と思うと、緊張症の私のノミの心臓が破裂しそうになる。

そんなこんなでドキドキで迎えた本番でしたが、ほとんど満席になったお客様の作り上げてくださった暖かな空気、JTアフィニスホールの素晴らしい音響効果、優しく歌に寄り添いつつも凛とした大杉先生のピアノ伴奏、そして何よりも、川村先生の入魂の歌唱で、最後の一音が鳴りやむとともにブラボーとスタンディングオベーションが巻き起こる感動的な演奏会になりました。私の朗読パフォーマンスの方は、本番の緊張で色々やらかした個所もあり、反省は多々あるものの、大きなミスはなく、何とか先生のパフォーマンスの足を引っ張らずに終えることができたかな、とホッと一息。

驚いたのは、川村先生が、事前のスタジオでの合わせやホールリハーサルでは見せなかった表現や技巧を次から次へと繰り出してきたこと。ピアノの大杉先生との間で、アドリブ演奏のようなピンと張りつめた緊張感が走る瞬間が何度もあって、舞台上で聞きながら時々鳥肌が立つくらい興奮しました。

「お客様が入るとね、そのお客様との駆け引きで、やったことがないような冒険をやってみたくなるんだ。そしてまたそれをお客様が支えてくれる。こんなことがまだオレはできたんだ、と思うんだよ」

終演後の打ち上げで、川村先生は何度かそんなことをおっしゃいました。でもそれは、何度も本番舞台を経験した年月があるからできること。会場を埋めたお客様と、ロビーで歓談されているお姿を見ても、川村先生のこれまでの積み重ねを知っているお客様がたくさんいらっしゃったんだな、と実感。数十年の長い芸歴の中、川村先生がどうやって歌声を磨いてきたか、その結果としての今日のパフォーマンスが、先生にとってどんな意味を持つのか、十二分に分かっているお客様たち。悩んだことも、落ち込んだことも知っている、そんなお客様が、一曲一曲魂を削りながら歌っている先生の挑戦を、心から応援し、拍手を送る。塗り重ねられた技術。塗り重ねられた経験。塗り重ねられた人の絆があって、生まれた濃密な空気。

終演後、矢島先生が歩み寄ってこられて、直接お褒めの言葉をいただいて感激しただけじゃなく、打ち上げにも来てくださって、たくさん素敵なお話を伺いました。年齢を感じさせない若々しい語り口は、まさにあのナレーションのまま。涼やかで、端正で、都会的な粋に溢れている。

「戦争末期から戦後すぐくらいは、学校どころじゃないからね。空襲の後の焼野原なんか、風が吹くと灰とかチリが舞い上がって、今のPM2.5みたいになるの。休校になると、みんなで浅草六区に繰り出して、唯一燃え残ってた常盤座っていう小屋でお芝居を見るんだよ。その頃は浅草オペラの第一世代は終わってて、次の世代だね。古川ロッパの『笑の王国』とか、清水金一とか。エノケンの次はシミキン、って言われた時代です」

「笑の王国」って、あの三谷幸喜が「笑の大学」のモデルにした劇団じゃないですか。あのオリジナルをご存知なんだ。

「最近の声優さんは僕らの頃と違ってみんなすごく上手だよね」とおっしゃる矢島先生。確かに最近の若手声優さんの高度な表現技術はすごいと思うけど、でも矢島先生の表現から滲みでる洗練された品格は誰にも真似できないと思う。戦中戦後、芸術に対する飢餓状態が作り上げた濃密な舞台空間を知っている人にしか出せない、表現の深みと、本物の「粋」。まさに、「塗り重ねてきたもの」。

「磨いて出てくるのは塗り重ねたものだけ」・・・色んな意味で、この言葉をしっかりかみしめた一日になりました。川村先生、矢島先生、これからもお元気で、次の挑戦を応援しています。自分自身も、自分にできる精一杯のことを一つでも多く塗り重ねていければ、と思います。


川村先生、大杉先生と。大杉先生のピアノもホントに素敵でした〜。


矢島先生とのツーショット写真。一生の宝物です。近々出版予定の矢島先生のご本「矢島正明 声の仕事」、絶対買わねば。