歌はやっぱり声出してナンボ

今週末に迫った大久保混声合唱団の定期演奏会。例によって、ステマネとしてお手伝いすることになり、先週、練習にお邪魔してきました。今回のステージは色々とバラエティに富んだ内容で、見ても聞いても楽しめるプログラムになっています。その中に、男声合唱・女声合唱を単独で聞かせるステージがあります。

その男声合唱の練習を見学していた時、指導の田中先生が、

男声合唱って、鳴ってナンボ、みたいなところがあるんですよね。鳴らすな、と指揮者に言われても鳴ってしまう、みたいな。あんまり賢く聞かせよう、としないで、思い切って馬鹿みたいに鳴らしてしまう、という意識でやってみてください」

なんてことをおっしゃっていて、なるほどな、と思った。

大学の男声合唱団に入った友人がいて、彼も、「まず声の当て方を覚えよう」ということで、徹底的に訓練されたそうです。「声を当てる」というのは、とにかくきちんと声帯が合っていて、響きの核がぼやけたりしない感覚。うまく説明できないのだけど、うまく「当たる」と、声の響きが硬いスーパーボールのような塊になって、頭のてっぺんあたりに「カーン」と響いている感じになります。頭蓋骨の裏に響きを「当てる」感覚。

先日、知り合いの声楽家さんが参加している演奏会に行ってきました。ちょっと差し障りがあって、詳細は書きませんが、20名くらいの合唱団と小編成の弦楽アンサンブル+ピアノ、という構成。合唱団員は全員が、音楽大学などで声楽を勉強し、プロとして活躍されている方々です。そういう意味で、かなり期待して行ったのだけど、びっくりするくらいに声が「鳴らない」。

Tuttiでは結構いい響きで鳴っているんだけど、パートがソロになるところや、ピアノ以下の音量になった瞬間、あるいはフレーズの後半とかに、響きが「逃げる」。ピアノになっても、「当たった」響きを保たないといけないし、そのためには下半身でしっかり響きを支えないといけないのだけど、ピアノやピアニッシモでことごとく支えが失われてしまう。結果的に音程も狂う。ちょっと残念な演奏会でした。

声楽の勉強を専門にした人たちでも、響きを「当て続ける」というのは難しいことなんですね。高音部・中音部・低音部、フォルテッシモからピアニッシモまで、すべての音量において、そしてすべての子音、すべての母音において、常に響きを「鳴らし続ける」こと。「音量が大きい」と言われて、思わず「鳴らさないように」と思ってしまうと、逆に支えが失われてしまう。まず鳴らす。鳴らしていくことは大前提で、その保たれた響きの中で、音量や音程や言葉のコントロールが行われねばならない。

歌ってのは、とにかく、「鳴らしてナンボ」なんだよなぁ、というのを、あらためて感じています。最近歌ってないから、自分でも歌が下手になっている自覚がある。どこかで、しっかりした合唱曲を歌ってみたいなぁ。