大田文化の森合唱団のお手伝い〜プロとアマチュアの理想的なコラボレーション〜

最近どうも忙しさにかまけて、日記の更新がおろそかになっていて済みません。色々と書きたいネタは溜まっているのですが・・・特に、最近ちょっと読書ペースが上がっているので、最近読んだ本のタイトルだけ、ちょっと並べておきます。また感想文が書けたらいいんだけど。

白洲次郎「プリンシプルのない日本」〜今読んでも全然古びない、筋の通った漢(おとこ)の諫言集
東野圭吾探偵ガリレオ」〜時間つぶしに買ってみたんだけど、ほんとに時間つぶし以上の価値はなかったね。あ、こんなこと書くと失礼か。
江國香織きらきらひかる」〜女房に、「こんな本、女子供の読む本じゃないの?」と言われましたけど、結構好きです、江國さんの文章世界。自分が書きたい文体に一番近い文章を書くひと、という気がする。
宮部みゆき「誰か」〜これが一番ヒットだったかな。やっぱり宮部さんにハズレはないね。
 
・・・と書いておいて、今日は全然別の話。土曜日にお手伝いした、大田文化の森合唱団の演奏会の話を書きます。

この日記にも少し書いておりましたが、先週の土曜日に、毎年クリスマスにステマネとしてお手伝いしている、大田文化の森合唱団の演奏会がありました。毎年お手伝いしているのだけど、今年は、指導者が生駒文昭さんという若い指揮者に代わり、こちらとしても新鮮な気持ちでのお手伝い。それなりに気を引き締めて臨んだはずだったんですが、こちらの段取り連絡が徹底しなかったために、演奏会の冒頭とラストで大きな段取りミスがあり、ステマネとしてはかなり反省点の残る演奏会になってしまいました。いかんいかん。出演者の皆さんには、本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

と、そんなステマネの失敗にも関わらず、演奏会自体はとてもいい演奏会になったと思います。団員の皆さんの頑張りも勿論だったけど、それを支えたエキストラの皆さんや、伴奏者の皆さん、そしてそういう人たちを一つにまとめあげた生駒先生のお人柄が、一番だったような気がする。

以前にもこの日記にも書いたかもしれないけど、大田文化の森合唱団の団員さんは、かなりご高齢の方が多く、特に男声は各パート数人・・・という感じで、バランス的にもかなり危うい。なんとか若い団員を増やしたい・・・と皆さん色々と動いてらっしゃるのだけど、なかなかうまくいかない。そういう状態で、いい演奏をするためには、団員さん達の実力向上だけではどうしても限界があります。ということで、今回は、生駒先生のお知り合いの合唱団の男声の方や、生駒先生のお知り合いの若いセミプロの方々が、いわゆる「エキストラ」という形で助演されていました。

こういう「エキストラ」というのも、使い方を誤ると、全体のバランスが悪くなったりする。団員さんの声が全然聞こえないで、エキストラさんだけの声が突出して聞こえてきて、全然「合唱」に聞こえない演奏会になったりする。でも、今回の演奏会では、エキストラの方々がうまく団員さんをリードし、団員さんがそのリードに一生懸命ついていって、きちんと「合唱団」としてまとまりのある音になっていた。それがとっても素敵なことだと思いました。

エキストラの方が出す表現に団員さんがついていける、というのは、それだけ団員さんたちが、日ごろの練習で、音楽のあるべき姿をきちんと理解できていたから・・・というのが大きいと思います。理解できていても、なかなか自分では表現できないところに、後ろや横から、そのあるべき音、あるべき声を出してくれる人がいると、今まで出なかった声がふいに出てきたりする。昔、故辻正行先生が、うちの女房に、「大砲になる人がパートに1人加わると、そのパートは1人分じゃなくて、10人分くらい声量が増えるんだよね」とおっしゃっていたそうです。核になる声を得た途端に、そのパートが突然一つのパートとしての声を持つことができるようになる。それって、団員さんからすると、すごく「達成感」になるんだよね。「なんだ、オレって、やればできるんじゃないか!」みたいな。

そしてもう一つ、とても大きい要素かなぁ、と思ったのは、参加されたエキストラの人たちが、団員さんをサポートし、寄り添ってあげよう、という、とても謙虚な気持ちで演奏会に臨まれていたこと。私自身、先日の大田区民オペラの「ノルマ」で失敗したように、ヘンに団員さんを「引っ張ろう」とか、「私がやらないと、この人たちにはできないからね!」なんていう傲慢な気持ちで歌っていると、そういう力みや傲慢は、恐ろしいほど素直に声に反映されてくるんです。結果として、パートの中で、その人の声だけが突出してしまったり、オペラの場合だと、その人の演技だけが異質なものになって全体から遊離してしまったりする。

そういうエキストラの方々の「謙虚さ」が、パートを底から押し上げていた感じが、とても爽やかだったのだけど、それって、彼らの「若さ」のおかげなのかなぁ、という気がする。テノールとソプラノの核になっていた高田慮来・実佐子ご夫妻、バリトンの福森篤志さん、キーボードだけじゃなく、バリトンの軸にもなっていた豊永武志さん、素敵なソロを聞かせてくださったメゾの田野亜希子さん、ソプラノの伊藤千恵子さん、そして、生駒先生の奥様の生駒圭子さん。皆さん、本当に団員さんの中に溶け込んで、一体になって、一つの音楽に向かって精一杯のパフォーマンスを見せてらっしゃいました。キーボードを担当された豊永さんに至っては、本番前夜のリハーサル終了後に、キーボードで電子ピアノの音をピアノ伴奏に重ねる箇所が突然増えて、本番当日のぎりぎりまで、舞台上で必死になって楽譜をさらってらっしゃいました。いい音楽を作るために、プロもアマチュアも垣根なし、手抜きなし、変な打算なしに、ただ純粋に努力する。そういう、プロとアマチュアの、とても理想的なコラボレーションを見せてもらえた感じがあって、本当に清清しいきもちになりました。

色んな合唱団のお手伝いをしたり、裏の事情を聞いていたりすると、いい演奏会を仕上げることの難しさ・・・というのをよく感じます。いい演奏会、というのは、アマチュア合唱団の場合、打ち上げの最後の瞬間までを含めて、参加した人たち全員が、「よかったなぁ、楽しかったなぁ」と思える演奏会だ、というのが私の常日頃の実感で、なかなかそういう演奏会っていうのは少ない。裏方の誰かが、ものすごくストレスを抱えて、「こんな団体には二度と関わらないぞ!」と思って会場を立ち去る、なんてことはよくあること。演奏会自体は大成功だったのに、打ち上げの席上での誰かの無責任な発言で、全員がすごく白けてしまったり・・・なんてことがあると、演奏会の成功も台無しになります。アマチュア合唱団の演奏会は、一年に1回あるかないかのハレの舞台。舞台そのものは勿論のこと、打ち上げが解散する最後の瞬間まで、おいしいお酒を呑んで、そこにいる人みんなが、「また来年に向けて、頑張ろう!」という気持ちになれるのが、本当に「いい演奏会」なんです。

不思議なことに、そういう「いい演奏会」をすると、「いいなぁ、あの合唱団で歌ってみたいなぁ」という人たちが、少しずつでも客席から加わってきてくれるもの。今回の演奏会でも、そういう声がちらほら聞こえてきたそうな。大田文化の森合唱団が、今回の演奏会を第一歩にして、次第にそういう声を巻き込んで、一層発展していくことを、本当に心からお祈りしています。生駒先生はじめ、とっても素敵な時間をご一緒できて、本当に楽しかったです。ありがとうございました。ステマネとしては全然へっぽこですけど、これに懲りず、また手伝わせていただければ幸いでございます。