スクラップ&ビルド

毎日毎日増え続けるメールと仕事の山に悲鳴を上げているわけですけど、時々、人間の生活ってのはどれくらい効率的になったもんなのかなぁ、と疑問に思います。生産総量、ということで言えばかなり数字が上がっているのかもしれんけど、仕事の総量もすごく増えていて、全体としての効率性は下がっている気がする。すごく単純化して言うと、昔は5くらいの労力をかけて、10くらいのアウトプットでみんな満足していた。今は、1000くらいのアウトプットが出ても、みんな満足しないでさらなる成長を目指しているけど、その1000のアウトプットを生み出すために、800くらいの労力をかけているんじゃないか。アウトプットが100倍になる一方で、インプット=必要とされる仕事は、160倍くらいになっている、なんてことないかなぁ。

メールの導入によって、デスクワークの量は明らかに増えている気がします。私が入社した頃は、キーボードをブラインドタッチで打てる、というだけでかなりのステータスだったけど、今ではキーボードを打てない人なんか仕事できないよねぇ。でも一方で、みんなが気軽にメールを打てるようになって、目を通さないといけない文章の数は明らかに増えている。

組織やネットワークやPC・サーバ、業務フローなどの組み合わさった総体を、「システム」と呼んでみます。ある仕事を消化するために、一つのシステムを作り出す。完璧なシステムというのはそもそも存在しないけど、とにかく日常のルーティン仕事は回さないといけないので、システムの欠陥から生み出されるゴミが次第に溜まっていく。このゴミを処理するための仕事が増えてくると、ルーティン仕事が圧迫されて、さらにゴミが増えていく。そのうちに、時間がたって環境が変化してくると、システム自体が陳腐化し、欠陥が増大して、さらにゴミが増えていく・・・典型的な悪循環。

こういう悪循環を断ち切るためには、トップダウンによる思い切ったスクラップ&ビルドが必要。システムの中にいる人は、どうしても自己防衛的に走るから、悪循環の中でも、なんとか既存のシステムを手直しすることで対応しようとする。その「手直し作業」自体もゴミ掃除仕事の一種だから、日常のルーティン作業を圧迫し、さらなるゴミを生み出す・・・どうにもならない自縄自縛の輪廻を断つには、システムそのものを一度破壊してしまって、新しいシステムに入れ替える決断が必要。

そういう意味では、太平洋戦争は、戦後日本において、実に効果的な社会システムのスクラップ&ビルドの手段として機能したんだな、とつくづく思います。戦後日本のシステムが、高度成長を支える上で極めて効率的に機能したのは、太平洋戦争によって明治以来のシステムが完璧なまでに破壊されたことと無縁ではない。古いシステムのしがらみのない若いシステムの持つパワーの賜物。

戦争、というのは一つの極端な「スクラップ&ビルド」の手段なんだけど、他にも、明治維新であったり、ソ連の崩壊であったり、様々な形での「破壊と創造」がありうる。どんな形であっても、破壊には痛みが伴うのだけど、どこかで思い切ってシステムを壊さないと、中にいる人はどんどんゴミに埋もれていく・・・一日300通以上来着するメールをひたすら処理しながら、なんだか自分が、フィリップ・K・ディックの描く悪夢世界に住んでいるような気分になってくる今日この頃なのでした。疲れるよねぇ。