地に足つけること、広げていくこと

さて、今年も仕事納め。今年はカレンダーが非常に厳しくて、最短で仕事始めを迎えることになるんだなぁ。しくしく。

なんてことを愚痴っていてもしょうがないので、例によって、今年一年のインプットの振り返りを。色々考えてみたのだけど、割とオーソドックスなところでまとまりました。
 
(1)ガレリア座公演「ファウスト
(2)けせん第九や合唱団麗鳴、女房の「アドリアーナ・ルクブルール」への参加
(3)娘のピアノコンクール
 
他にも、何とかシリーズ化にこぎつけた「南の島のティオ」とか、例によって自分の限界に挑戦、という感じだったCCF合唱祭とか、色々なアウトプットがあったんですが、自分の中での視点の変化を感じたイベントを3つ、並べてみました。

娘のピアノコンクールは、家族あげての大きなイベントだったのだけど、この経験で、娘がぐっと大きく成長したような気がしています。舞台上で、ピアノに自分ひとりできちんと向き合って、一つの楽曲、という世界を自分ひとりで作っていく。誰も助けてくれないところで、自分の責任で仕上げたものに対して、ある意味容赦ない評価が下される。そういうプロセスをきちんと経験したことで、娘の音楽に対する姿勢が少し変わった気がする。ある意味非常に真摯に音楽に向き合うようになった気がしています。娘の成長だけでなく、コンクールという場に参加してくる子供たちの姿を見ながら、子供たちの可能性の高さ、音楽愛好家たちの裾野の広さ、ということも実感したイベントでした。

音楽愛好家たちの裾野の広さを感じることと、「地元での活動」という局地的な活動にいそしむ、というのは、広がりという意味において相反するようにも見える。でも、例えば、岩手県の気仙地方という限定されたエリアにおいても、音楽を中心に集う人々の絆があり、府中や調布、といった我々の地元でも、さまざまな音楽愛好家のグループがある。そういう地元の活動に思い切って飛び込んでいくことで、自分自身の視野も広がっていく。今年は、夫婦そろって、そういう「地元での活動」というのに積極的に飛び込んでいった一年でもありました。

その最たるものが、けせん第九への参加だったわけですけど、このイベントでは、第九、という音楽の持つ求心力のすごさを再認識させられました。第九は聞くものじゃなくて歌うもの、と言った人がいたと思うんだけど、本当にそう。大船渡のリアスホールという素晴らしい場所との出会いも含め、またきっと、ここで、気仙の皆さんと歌いたい、と思わせる、熱気に満ちたイベントでした。

一方で、今年は積極的に、府中・調布エリアでの音楽活動に飛び込んでいく機会が増えた一年でもありました。もうすぐ本番を迎える、女房出演のアルモニア・ヌーヴァの「アドリアーナ・ルクブルール」。私が飛び込んでみた合唱団麗鳴。夫婦そろって参加した東府中の地元の愛好家のコンサートなど。そこで見聞きしたのは、地元にしっかり根を下ろして、音楽を精一杯楽しもうとする人たちの層の厚さ。自分が知っている音楽の世界が、ある意味非常に限定された、狭い世界なんだなぁ、というのを実感した経験でした。

でも、そういう活動に思い切って飛び込んでみよう、という勇気をくれたのは、やっぱり、「ファウスト」だった気がするんです。「ファウスト」では、自分はどこまで歌えるんだろう、自分の響きってどこにあるんだろう、ということを、自分の責任として随分考え抜いた気がしています。結果として出来上がったものに満足しているわけでは決してないけど、「これが自分の響きだ」というポジションが一瞬でも見えた気がしていて、それが自分の自信につながっている気がする。どんな場に行っても、このポジションさえきちんと再現できれば、それなりのアウトプットを出すことができる、という自信。

もちろん、音楽の世界というのは、さらにさらに高みに向かって広がっていて、私なんかその入り口の光をちらりと見た、という段階に過ぎないのですけど、年々進む加齢による体力その他の衰えに抵抗しつつ、さらにその高みを上っていければ、そのための場を、自分なりに広げていければ、と思っています。視野を広げるためには高みに上らないと。高みに上るためには、自分の足元・足場をしっかり固めないと。一歩一歩、着実に前へ、上へと進んでいけるように。今年の一歩が、来年の一歩につながっていくように。皆様、よいお年をお迎えください。