大阪弁の破壊力

最近忙しくて更新がおろそかになっていてすみません。週末から結構話題だったのが、亀田一家バッシングですけど、今日は、この現象の背景にある、大阪弁という言語についてちょっと考えてみたいと思います。

というのも、亀田一家があれだけバッシングされる背景に、彼らが使っている大阪弁という言語の特性がすごく影響しているんじゃないか、と思うからです。私の周囲でも、「だから大阪人はやですよね」というコメントをする人が結構いた。実は私も、三田出身大阪育ちの半分大阪人なんだけど、関東に来てすぐに関東弁を身につけてしまった裏切りモノなので、表面的には大阪人に見られていない。従い、上記のコメントにも、ただ苦笑いをするしかないのがちょっと辛い。

大阪弁、という言語にまとわりつくのは、「ガラが悪い」と言う言葉です。単に「下品」というのではなくて、その言葉を使っている人自体の人柄=人格が劣っている、とでもいいたげなこの表現。これが、京都弁だと全く印象が変わるので、京都の人はよく、「関西弁、なんてゆうて、大阪弁と一緒にしてもろたらこまりますわぁ」と上品に困っている。関西でも、神戸弁と京都弁と大阪弁では全くニュアンスが異なる。やっぱり、大阪弁、というのは極めて特殊な言語で、それを簡単に描写する言葉が、「ガラが悪い」。

この大阪弁の「ガラの悪さ」というのは、土地の経済的な特性とか、住んでいる人たちの共通の性格、といった、和辻哲郎流の風土的分析も必要かもしれないけど、そういう学問的な分析は一切捨象します。(というより、そんなアカデミックなことができるような能力は私にはない)そういう分析は脇に置いて、私個人が何となく思っている、関東弁と比較したときの言語としての特性に注目したい。それは、大阪弁の独特のイントネーションが持つ一種の音楽性が、かなり強烈な浸透力を持っていて、それが言語としての「破壊力」というか、一種のパワーにつながっているのじゃないか、という仮説です。

関西弁というのは、標準語よりも文頭の音程が高く、文末の音程が低い気がしています。全体に使われている音域が広く、抑揚の幅が広い。よく言えば音楽的な言語です。私の大学時代の歌の師匠も、「標準語に比べて、関西弁というのは、より音程の高低がダイナミックで、しかもレガートなので、音楽的な言語だと思う」とおっしゃっていました。

この「レガート」という印象は、特に京都弁や神戸弁に顕著なのだけど、大阪弁にはあまり「レガート」という感じがありません。もっとラップのリズムに近い、強いビート感があります。つまり関西弁の中でも、大阪弁というのは、極めて印象的なメロディーとビートを持つ、言ってみればハードロックの言語、といえるのじゃないか。

こういう言語というのは、他の言語に比べて、極めて強い印象を与えます。本当かウソか分からないけど、小学生以下の子供たちを日本全国から集めて、一つの部屋で一日過ごさせたら、その日の終わりには全員が大阪弁になっていた、という実験結果を聞いたことがある。そういう話が本当らしく思えるほどに、言語としての侵食力、破壊力が強い。例えるなら、静かな空間でシャカシャカ鳴っているイヤホンからの音漏れのように、耳につく。実際、かなり混雑していて、色んな会話が飛び交っている満員電車の中で、かなり離れた場所での関西弁の会話だけが異様に耳につく、という経験、ありませんか?

そういう無敵のハードロック言語は、その特性として、強いコミュニケーション力を持つ。そのパワーが、お笑い芸人たちが、お客様の心をぐっと引き寄せるためのツールとして役立つ。固くなっているお客様の心をほぐすのは、大阪弁の持っている、閉鎖された社会やコミュニティの中に楔のように打ち込まれる強烈なパワー。そしてそのパワーがネガティブに働くと、平穏な社会に対する強烈な「異邦人」の来訪、という形での拒否反応につながる。大阪弁で話しかけられただけで、なんとなく、自分のプライバシーに土足で踏み込まれたような不快感を覚える人ってのはいると思う。

同じような話で、リゾートとか、海外とかでくつろごうと思ったら、同じツアーの中に大阪人がいて、この大阪弁を聞いただけで思いっきり白けた、なんて話もきく。大阪弁の「馴れ馴れしさ」=デリカシーのなさが、ハレの場を日常のケの世界に引き摺り下ろす。これは、大阪弁の持っているコミュニケーション力の強さが、ネガティブに現れる例。実はこのネタ、柴門ふみの漫画で見たのだ。

わりと思いつくままに書いているので、分析が生半可な部分もあるんですが、こういう大阪弁の持っているパワーの強さが、いい方向に流れれば、お笑い芸人たちの見事な話術になり、悪い方向に流れると、亀田一家のように、「社会的不適格者」のレッテルを貼られる一つの要因になってしまうのじゃないか、という気がしています。阪神ファンがあれだけ特異な存在となっているのには、彼らの共通言語である大阪弁の持つ印象もゼッタイあると思う。

なんてことをつらつら書いてると、大阪弁は無敵って感じもしますが、実は最近、わりと身近に、更に強烈な侵食力を持つ言語を耳にする機会が増えてきました。それは中国語。何と言っても同じ母音がイントネーションで意味を変える言語ですから、その音楽的表現の幅の広さとパワーは凄まじい。大阪弁も、うかうかしとったらアタマ取られるでぇ。