常に軸が揺らがないこと

ハンカチ王子だのハニカミ王子だの、最近ではなんだか「怪物王子」ってのもいるそうで。そういえば私が子供の頃に、「怪獣王子」っていう番組があったな。この主役の双子の兄弟っていうのが、うちの近所の小学校に通っているっていう噂があったっけ。主題歌のソノシート(懐かしいだろう)が我が家にあって、かなり荒々しいアフリカ風のリズムに乗った主題歌がかっこよかったんだ。何の話だ。あ、王子の話だ。

早稲田の優勝パレードで、斉藤祐樹くんが挨拶している映像を見たのですけど、この人には確かにオーラがあるね。常に、どんな状況にあっても、自分のリズムと自分の言葉が崩れない。軸が揺らがない。周りがどんなにはやしたてようが、自分のペースが周囲からちょっとズレようが、意に介さない。このマイペースぶりっていうのは、浅田真央ちゃんにも通じるし、かつての大スターである長島茂雄にも通じる。こういうことを書くとまたMayumiちゃんあたりが吹き出しちゃうかもしれないけど、これら「大スター」と呼ばれる人たちの「周囲とのズレ」に着目しているわけじゃなくて、常にぶれない自分の軸を持っている、というところに注目しているのだよ。

常に軸がぶれないから、どんな大舞台でも、どんな状況でも、常に一定のパフォーマンスを出すことができる。緊張もするだろうし、力みも出るとは思うのだけど、「観客の視線」や、「周囲の評価」に影響されない。優れたパフォーマーには色んなタイプのパフォーマーがいて、周囲の評価や視線をプレッシャーにしながら前進していくタイプの人もいるけど、全くそういうものから影響を受けない(受けているのかもしれないけど、そう見えない)タイプのパフォーマーが確実にいる。

不思議なんだけど、斉藤投手、浅田真央長島茂雄、という3人のパフォーマーに共通しているのは、観客の視線に影響されないにも関わらず、「観客のために頑張る」と言う言葉をしょっちゅう口にすることなんだよね。観客にどう見えているか、ということを常に意識する。でも、外からの評価は、自分自身のパフォーマンスの質をいかに高めるか、という一点にかかっていることを知っている。そのパフォーマンスと自分の間の関係性に対して極めてストイックである。何か他の雑味が入ってくる余地がない。

そういう感覚っていうのは、ものすごく舞台の感覚に似ている。客の目や受けを意識すると途端にスベる。自分自身の中の、自分自身の理想像との戦い。こういう表現をすれば客がこう反応してくる、という確信の下に、ひたすら自分自身の表現と向き合うこと。以前の日記にも書いたけど、「お客さまに受けるためにこうする」という意識と、「こうすると絶対お客様が受けるからこうする」という意識は、実はかなりアプローチとして異なっているんだよね。お客様に心を向けてしまうか、表現に対してきちんと向き合うか。

表現に対して向き合った時にあるのは、自分の中にあるパーフェクトな状態のイメージ。そのイメージをどれだけ自分が実現できるか、という、自分自身との戦い。観客との戦いでもなく、どう評価されるか、という視線へのアピールでもない。パーフェクトな状態が観客の心を捉え、その拍手や歓声が、さらに、自分自身とそのイメージの存在しているステージを高みへと押し上げる時、パフォーマと観客が一体となった至福の一瞬が訪れる。

それが分かっていても、中々、人の視線、評価は気になるもの。しっかりした太い軸を自分の中に持ち、それをどんな状況でもぶれないように保つこと。頭では分かっていても、ものすごく難しいこと。それが自然とできる人が、「大スター」と呼ばれるオーラを身につけることができるのかもしれない。