セリフの間

土曜日、ガレリア座の練習にちょっとお邪魔。ほんとに少しだけしか顔を出せなかったのだけど、人の練習の様子を見ていると本当に勉強になる。

中々セリフが生きてこない人がいて、頑張ってるんだけど、どうもぴんと来ないなぁ、と思う。自分だったらどうやるだろう、と思ってシミュレーションしてみると、「間」を取らない、取れないことに大きな原因があったりする。

例えば、「ちょっとそこのお嬢さん、この桜を見てご覧よ、綺麗だろう?」というセリフがあったとしますよね。芝居に慣れていない役者さんにこういうセリフを言わせると、10人のうち8人まで、「、」の付いているところで、全く同じ長さの間を2回とって、あとは一切間を空けずに、同じテンポで喋っちゃうと思うんです。実際そうやってこのセリフを読むと、ほとんど「本を読んでいる」ようにしか聞こえないと思う。

セリフをもっと生き生きと、という指導をすると、慣れない役者さんの10人のうち9人以上が、一生懸命「抑揚」を付けようとすると思います。「ちょっとそこのお嬢さん、この桜を見てご覧よ」まで、甲高い声で言ってみて、「綺麗だろう?」を低い声で言ってみる、とか。あるいは、一つの言葉をゆっくり言うとか。「お嬢さん」じゃなくって、「おーじょーおーさーん」と言ってみたり。

セリフの高低とか、テンポの揺らぎ、声の大小ってのも確かにすごく大事です。でもね、セリフで一番大事なのは、「間」です。セリフをもらったら、一番最初にやることは、そこについている「句読点」の間の長さの長短を区分けする。さらに、句読点以外に、間を取る場所を探す。例えば、上のセリフだったら、

「ちょっと(間)そこのお嬢さん、(少し長めの間)この桜を(間)見てご覧よ、(かなり長めの間)綺麗だろう?」

と構成してみる。そして、そのそれぞれの間に、自分の芝居を構成していく。

「ちょっと(お嬢さんが振り向いたのを確かめる間)そこのお嬢さん、(お嬢さんがこちらに近づいてくるのを確かめる間。多分ニコニコしている。それから、桜を見上げる芝居)この桜を(感嘆する間、ほら、とお嬢さんの方を促すように見る)見てご覧よ、(お嬢さんが桜を見上げて、感嘆しているのを確かめる間。お嬢さんの様子を確認してから、おもむろに)綺麗だろう?」

()内の芝居は、お嬢さんと自分の位置関係や、人間関係、自分の年齢や、この人とこの桜との間の関係性などの設定によっていくらでも変化してくる。でも、そこに「間」がないと、芝居もない。逆に、「間」を取るだけで、何もしなくても、客の側がその「間」の中に色んなものを想像したりする余裕ができる。

一番大事なのは、「間」なんだけど、芝居に慣れていない人は、自分が覚えたセリフをとにかく吐き出すことに汲々としてしまって、中々この「間」が取れない。そうすると、全てのセリフが、何の障害もなくサラサラと流れてしまって、結局全くセリフらしく聞こえなくなってしまうんです。

以前、ガレリア座のヴァイオリニストのH君が、「音符の休符の間にまで音楽がみっしり詰まっているような演奏がいい」という話をしてくれた、という話、この日記で以前書いた気がする。「休符」というのはお休みの時間なのではなくて、その休符の間にこそ流れているもの、語られている物語がある。お芝居も音楽も全く同じ。休符=間にこそ、実はドラマがあるんです。

抑揚も何もかも無表情の大根役者でも全然いいから、とにかく、セリフの中で大事な言葉を見つけて、その言葉の前に必ず一呼吸の間を取る。それだけでもいい。「間」は「魔」に通じる、という幸四郎さんの言葉を紹介したことがあったと思いますけど、「間」は全ての出発点であり、全ての到着点なんです。