最近やけにバタバタしていて、日記の更新が滞っておりました。年度頭、ということもあるし、来週中国に出張するための準備でも結構バタバタ。もっと前からちゃんとやっておけばよかったじゃない。その通りですね。すみません。
と、ばたばたしている中でもインプットはあって、先週末から今週頭にかけて、以下のようなイベントがありました。ぼちぼちピックアップして書いていければと思います。
・金曜日の夜、いつものタモリ倶楽部を見た後で、以前録画してあったスピルバーグの「宇宙戦争」を見る。
・土曜日、ガレリア座の練習にちょっとお邪魔。やっぱりセリフって、「間」が大事なんだよね。
・土曜日の夜、大田区民オペラ合唱団の練習に。男声合唱の特練。かっこいいところだから余計に難しい。
・日曜日の朝、今度、池澤夏樹さんの「南の島のティオ」の朗読パフォーマンスをやる予定の、調布市民文化会館たづくりの映像シアターに下見。舞台美術のH君が書いてくれたイラストをPCからスクリーンに投影しながらのパフォーマンス。本番会場に来ると、色々と夢が広がるねぇ。
・日曜日の午後、我が家の裏庭が完成して初めての裏庭お花見。裏庭のすぐ目の前に桜並木があって絶景。天候も暖かく、女房ともども昼から飲んだくれ、惰眠をむさぼる。極楽じゃ〜
・火曜日、会社を休んで、大久保混声合唱団の「その心の響き」演奏会の会場、石橋メモリアルホールに事前打ち合わせに行く。「プロデューサは憎まれてナンボですよ」という主宰者のMさんのセリフに深く感銘。
・その午後、娘と二人で、上野の東京都美術館に、オルセー美術館展を見に行き、夕方の上野動物園を堪能。かなり寒かったけど、楽しい春休みでした。
と色々とあった中で、今日は、「宇宙戦争」の話を。
スピルバーグという監督は、天才的なヒットメーカーで、企画自体があんまりぱっとしなくても、どこかに思いっきりこだわって、結局話題作に仕上げてしまう、という才能に長けてる。「宇宙戦争」という企画は、どこかで彼が、「難民化したアメリカ人を描きたかった」と言っていたんだけど、その企画の意図が、ご都合主義のラストのおかげで、思いっきり薄まってしまった。この際、最後まで宇宙人がアメリカを完膚なきまでに叩きのめして、人類滅亡で終わっちゃう、という方がよっぽどメッセージは伝わったんじゃないかなぁ。東宝パニック映画の佳作「世界大戦争」なんか、平和なタクシー運転手さんのホームドラマが、いきなり東京大破壊、土に埋もれた国会議事堂の絵で終わっちゃうんだぞ。あれぐらい徹底的にやらねば。
それでも、こだわりにこだわった地獄絵図の描写と、合成を合成として見せない粒子の粗い画面(「シンドラーのリスト」や、「プライベート・ライアン」から引き継いだ画質かな)によって、宇宙人の来襲という非現実をリアルに見せるこだわりはさすが。フェリーのシーンの阿鼻叫喚とか、人間の血液で成長する赤い宇宙植物の描写などは、「プライベート・ライアン」の内臓飛び散る戦闘シーンや、「ポルターガイスト」に出てきた変形したグロテスクな扉の描写に通じる悪趣味。やっぱりスピルバーグってグロ趣味なんだと納得。
同じH.G.ウェルズの原作を映画化した1953年の「宇宙戦争」は、本当に傑作だったなぁ、と妙な感慨にふけったりする。53年版は、圧倒的な宇宙人の暴力の前になす術もない人類が、最後にたどり着くところが、教会だった、というシーンが感動的だったんだよね。絶望の中にも毅然と運命を受け入れようとする崇高な精神。絶滅の瀬戸際まで追い詰められた人類が、共に「祈り」という精神的な行為にすがる姿と、そこから生まれた奇跡としての宇宙人の絶滅、という感動のラストシーン。
それに対して、スピルバーグ版は、「家族の絆」の復権、「父性」の復権、というテーマを持ってくる。過去のスピルバーグ作品でもたびたび出てきた、一つの大きなテーマではあるのだけど、それが宇宙人の攻撃とその失敗、という大きな物語とうまくかみ合っていない感じがする。絶望の中で、必死に娘を守ろうとする父親の死闘が、家族の絆を再び甦らせる、というテーマ自体は理解できるんだけど、この父親は、娘を守るために、ただ宇宙人の攻撃から逃げるだけじゃなくって、同じ同胞であるはずの人間を殺す、という究極の選択にまでたどり着いてしまう。ある意味ものすごくエゴイスティックな行為で、そういう行為の果てに救われたこの親子に対して、あんまり感情移入ができないんだよなぁ。
なんとなく成り行きで付き合って、最後まで一緒に見てしまった女房が、色んなネット上の映画評をチェックして、「ダコちゃんの一人勝ち!という評論が多かったぞ」とレポートしてくれました。確かに、映画の30%はリアルな地獄図の描写に、50%はダコタ・ファニングの鬼気迫る目の演技に支えられていたと言っていい。あとの20%は肩透かしって感じですかね。個人的には、同じような年頃の娘を持っている身として、ダコちゃんがひどい目に遭う度に、うわあああああ、という気持ちになってしまうのは仕方ないことで、そういう気分にさせてしまうダコちゃんってのはホントにすごい役者だと思う。娘にあんな虚ろな目で見られたら、父親としては人殺ししてでも守らなきゃって思っちゃうよなぁ。
・・・とはいえ、自分としては、多分最初の宇宙人の一撃で灰になっている一人であろうと推定。トム・クルーズの逃げっぷりは、さすがミッション・インポッシブル。生き延びるってのは大変なことであるのことよ。