自分の立ち位置

先日、ガレリア座のお抱え訳詩家のMちゃんが、ボストンから一時帰国している、ということで、久しぶりに、ガレリア座の練習の後の飲み会に顔を出しました。ガレリア座の今回の公演はお休みさせていただいているので、本当に久しぶりの飲み会参加。久しぶりなのですが、団員のみんなが温かく迎えてくれて、やっぱり、自分はこの集団に所属しているんだなぁ、と思う。

帰属感、というのは、みんなが同じ目的=「いい舞台を作ろう」というところで一致しているところから来ている。いい舞台のために何をすればいいのか、という実践的な議論が盛り上がることもある。これから何を作っていくのか、という夢を広げることもある。そういう直接的な、自分たちが作っていく舞台のことじゃなくて、「あの舞台はよかったねぇ」といった話で盛り上がることもあるし、色んな舞台裏の話や、自分たちが作ってきた舞台の思い出話で盛り上がることもある。

共有している基盤があり、視線がある。同じ言葉、同じ文法で語れる仲間がいる。そこで馴れ合いにならないように、という自制はもちろん必要なんだけど、この帰属感はやっぱり嬉しいものです。

さらになんだか面映い感じで嬉しかったのは、色んな団員さんが、私に色々と相談を持ちかけてきてくれたこと。舞台のこと、自分の作っているパフォーマンスのこと。みんなが色々と、表現するということに悩み、苦しみながら、一生懸命向かい合っている。その現場に参加していない私が相談相手に選ばれる、というのも、なんだか申し訳ない気持ちもするのだけど、逆に、現場に参加していないから相談できる、という気安さもあるのかな、と思いながら聞いていました。同じ舞台の中で、同じ表現者として立っている人同士では、ちょっと言いにくいこととかでも、客席に座っている立場の人間には言いやすい、というのはあるのかもね。

舞台の上に立つ、という形で貢献はできないけど、そういうお悩み相談室、という形ででもお役に立てるなら、それはそれでとても嬉しいこと。それが今回の公演での、私の立ち位置になるのかなぁ、なんて思う一方で、そういうみんなの悩みを一気に解決してあげられるような、気の効いたコメント一つ上げられない自分に、なんだか苛立つ気分もあります。

舞台表現というのは孤独な戦いだから、余計に、人の言葉にすがりたくもなる。でも、人の言葉を受け止めた後で、どれだけ自分を変えることができるか、というのが、本当の勝負なんだよね。もちろん、悩むことはとても大事。自分が壁にぶつかっているのに、その壁に気づかなかったり、気づいても正面から向き合おうとしない人だっているんだから。壁を自覚するのも自分。その壁を突破するのも自分。本当に悩んで、本当に苦しみながら、「苦しいよぉ」と呟いてくる仲間に、客席に座っている私ができることなんて、そんなにないんです。ただ、悩みを聞いてあげるだけ。まぁ、それでも役に立たないわけじゃなくって、そうやって自分の悩みを言葉にして人に伝えることで、逆に、自分が直面している壁を客観的に把握することができる、という効能はある。もう一つの効能は、「言いたいことを言ってすっきりする」というヤツですね。ストレス発散。私にできるのはそれくらいかなぁ、と思いながら、みんなの悩みをお父さんのように聞いてあげる。

悩んでいる人は幸いである・・・なんて、聖書みたいなことを言いますけど、実際、一番困るのは、客席から見ていて、明らかに壁にぶつかっているのに、「自分は出来ている」と思っている、あるいは、「出来ていないと人に打ち明けるのはかっこ悪い」なんて思っているタイプの、「悩まない」表現者。出来ていると思っているから、人の助言も聞かない。悩みもないから、自分の壁を自覚できない。ある意味ストレスなく表現できているので、本人は楽しいんだけど、客は困る。

もう一つ困るタイプは、「私は悩んでいるんです」とアピールするんだけど、実際にはさして悩んでいない人。こういう人の中でもタイプは分かれて、「悩んでいるから、何か指示してくれ」という指示待ち型になっちゃう人と、悩んでいる、というから色々とアドバイスするし、うんうんとうなずいて聞いているんだけど、実際にはさして悩んでいないので、全部馬耳東風になっちゃう、という人もいる。「悩んでいるんです」ということで、自分ができない言い訳をしている。「出来てないってことはわかっているんですよ」というアピールですね。そういうことを言っている暇があったら、自分を変える努力をしなさいっての。

表現、ということには限りがない。いいパフォーマンス、というものにはゴールがない。だから、苦悩するプロセスにも終わりはないんです。表現っていうのは、そんなに楽しいものじゃありません。客席にいる人たちを幸福にするために、自分の身を削る、鶴の恩返しのような行為です。それでも、客席の人たちがくれるブラボーの拍手があるから、頑張れる。恐ろしく利他的な行為なんです。そういう悩みを抱えている仲間に、私のできることなんて本当に限られているけど、とにかく悩みに耳を傾けてあげることだけはしてあげたい。それで少しでも、みんなの孤独感を癒してあげることができるなら・・・