恥ずかしいよぉ

私の職場では、事務室の入り口近くに共用ハンガーがあって、コートなどはそこにかけるようになっています。自分のハンガーを持ち寄って、そこに自分のコートをかける。そうするとなぜか、持ち主不明のハンガーがだんだん増えてくる。傘立てなんかと同じですね。コートの数を明らかに上回っている、クリーニング店でもらうような黒いプラスティックのハンガーが、多数並ぶことになる。

昨夜、さて帰ろう、と思ってコートをハンガーから取って、携帯で「帰るコール」をしながらそのまま外に。駅に向かって歩いていくと、なんだか妙に背中の腰のあたりに固いものが当たる感触がある。なんじゃ、と思って背中に手を回してみると、コートのベルトにプラスティックのハンガーが一つ引っかかって、ぶらぶら揺れていた。おいおい、これぶらさげたまんまの格好で、会社のエレベータ乗って駅までの5分近い道のりを歩いてきたのかよ。恥ずかしー。

こういう、「自分では気づかないけど周囲から見れば異様に恥ずかしい状態」ってのは結構あるよねぇ。代表的なのがズボンのファスナーの開けっ放し状態。高校生の頃、学内でやったお芝居で、衣装替えの後、舞台に出て行くと、妙に前列のお客様がクスクス笑っている。なんだ、と思ってズボンに手をやると、全開。お芝居しながら後ろを向いて、ファスナー引き上げて振り返ったら、前列から、「あ、閉じた」という独り言が聞こえてきました。はずかしー。

クリーニングのタグのつけっぱなし、なんてのも代表的なものですよね。サラリーマンのおじさんたちがよくやるのが、スーツの襟が首の後ろで裏返ったままになっている、というやつ。結構街中で見かけます。通勤電車の中ってのは、こういう「恥ずかしい」状態に陥っている人をよく見るし、自分もそういう状況になっちゃうことが結構ある。思い出しちゃうと顔から火が出そうになるので、なるべく思い出さないようにしたいんだけど、なぜかそういう恥ずかしい記憶ってのは忘れられないんだよねぇ。

中学生の頃、十二指腸潰瘍を患って、医者から粉薬を4種類くらい処方されてた時期のこと。その日飲む分の粉薬(毎食後、なんてことになるから、ものすっご大量)をポケットに入れていて、ハンカチを出すはずみに電車の中に全部ぶちまけちゃったことがある。周りの乗客は驚愕しただろうなぁ。薬漬けの中学生。

イヤホンからの音漏れってのも、時々周りがコッパズカしくなることがありますよね。自分も、ガレリア座のガラ公演でやる「アイーダ」を聞いていたら、隣のお姉さんから、「音がうるさいから小さくしてください」と注意されたことがある。通勤電車の中に鳴り響くアイーダトランペットってのも、思い出すだになんとなく恥ずかしい。

ちょっと前、通勤電車の中で、ちょっとトウの立ったアキバ系、っていう感じのおじさんが、長澤まさみの「セーラー服と機関銃」を聞いているのがイヤホンからじゃじゃ漏れ。本人は当然気づいていないのだけど、周りの人たちがかえって恥ずかしくなってしまったってことがありました。通勤電車で、周りが気まずくなっている空気って、妙に共有感があるんだよなぁ。

周りが気まずくなる、といえば、以前、やっぱり通勤電車の中で、ちょっと可愛い感じの若いOLさんが、私の目の前で携帯メールをやっていたときのこと。別に覗く気はなかったんだけど、ふと目にはいったそのメールの文面が、彼氏とのメールのやりとりだったらしいんだけど、テーマが、「エッチ系しりとり」。ここにはちょっと書けないような露骨なエッチ系単語が、しらっとした表情の可愛いお嬢さんの手元の携帯の画面上でガンガン飛び交っていて、見ているこっちが赤面してしまいました。目を逸らせばいいのに、なんだか見入ってしまった自分もオヤヂだよなぁ。

「恥の多い人生を送ってきました」というのは太宰治のセリフだけど、時々そういう恥ずかしい記憶が脈絡もなく街中で突然よみがえってきて、いたたまれない気持ちになることがある。人間40歳を過ぎると色んなことをどんどん忘れていくので、残っている記憶の中で、「恥ずかしい記憶」が占める割合がどんどん高くなってくるんですね。60過ぎるとほんとに、「生きていてすみません」っていう気分になっちゃうかもしれんなぁ。なるべく強烈な楽しい記憶を増やすように、面白おかしく生きていかねば。