異常気象

亥の年というのは天変地異が起きやすいらしい、なんて話を、以前この日記に書いたと思うんですが、今年はまずは、超暖冬から始まりましたねぇ。我が家の近所には梅の木が多いのですが、ほぼ満開。冬のコートは結局出さずじまいで、マフラーと薄手のコートでこの冬は乗り切ってしまえそうです。今年の東京の冬は、結局雪なしで終わっちゃいそうだしねぇ。

二酸化炭素だ、温室効果だ、と色々騒いでますが、最近とみに、以前よりも太陽の光が強いような気がするんですけど、気のせいかしら?空気は冬らしくそれなりに冷たいのだけど、日差しだけがやたらに強くて、結果的に妙にバランスの悪い暖かさを感じるのが、今年の暖冬の印象。温暖化ガスの影響もあるのかもしれないけど、オゾン層が破壊されたことの影響の方が大きいんじゃないかなぁ。人間の感覚のセンサーって結構敏感だから、意外と正しいんじゃないかな、なんて勝手に思ってますが。

高層ビルに勤務していると、窓の外の風景が、その時々の天候に応じて随分趣を変えます。夏の夕立などはほとんどスペクタクルなんですが、空気が澄みきった冬の日、新宿の高層ビルごしに見える富士山の美しさは絶景です。今の時期、太陽がちょうど富士山の上に沈むので、先日は、富士山の脇に宝石のように輝く夕日の最後の光を見ることができました。

今年の冬は、この窓の外の光景がなんだか例年と違う感じがします。冬場の空気の透明感があんまりなくって、ただ乾燥した空気が、いつもより妙に埃っぽい感じがする。街全体に白粉をはたいたような光景の上に、季節にそぐわない強い日差しが照りつける。なんだか街全体が、非現実的な霞の中に浮かんでいるような。花粉も飛び始めてみたいで、目鼻がどうもむずむずし始めた。同じ症状を呈し始めた女房は相変わらず頑強に、「風邪気味なだけである。花粉症ではない。認めたら負けだ」と抵抗していますが。

先日の雨の日には、街が霧のような湿度の高い空気の中に沈んでしまって、その霧のところどころから、高層ビル群の上の部分だけがぼんやりと浮かんで見えていました。霧の海の中にゆっくりと沈んでいく大型船の船首のような。東京という街が、成長し、変化し、そして、ゆっくりと死に近づいていく姿を見るような。

子供が出来てしまうと、以前あんまり意識しなかったこの国の将来、とか、地球の環境の変化・・・といったことを意識せざるを得なくなる。この子が大人になった頃、この国はどうなっているんだろう。この地球はどうなっているんだろう・・・とはいえ、マスコミが煽りたがる終末観に乗っかる気もなくって、最近の異常気象も、地球という星の大きな気象循環の中で説明される部分も結構ある気はしてるんですけどね。氷河期を生き延びた人類だもの、多少のことではへこたれないだろう、とは思っていても、自分の子供の将来の生活が、現在同様安寧なものである保障はないよな、と、不安な気持ちは消えない。

とはいえ、保障のある将来なんて存在しないので、我々にできることといえば、無理に便利を追求しないで、今ある生活の中で満足しながら、精一杯、地球に優しい生き方を追求することしかない。だんだん人間に厳しくなってきたとしても、この地球という星の上以外に、人間が生きていける場所はないんですからねぇ。