プレゼントっていいよね。

12月というのはなんとなく心が浮き立つ月ですね。桜がほころぶ頃というのも、もちろんわくわくするのだけど。二つに共通していることは、「人がみんな上をむく」ということだったりする。12月になって見上げるものは、ビルや木々を飾る華やかなイルミネーション。春になって見上げるものは、木々の枝を埋め尽くす花びらの雲。そして見上げる人々の上から、天からの贈り物のように、白い雪が天使のように降ってくると、祝祭的な心地はまさに最高潮に達する。いつもは伏し目がちで地面近くを彷徨っている視線が、少し上をむくだけで、人の心は幾分か軽くなるのかもしれません。

うちの娘は12月が誕生日なので、我が家の12月は普通の家よりもお祭りごとが多い。先日もデパートに行って、恒例の「サンタさんへのお願い」をしてくる。娘に、「サンタさんに、これが欲しいとお願いする」おもちゃを決めてもらう。決まったら、パパとママが、フランスのサンタさんにお電話する。フランスのサンタさんは、「xxちゃんはプレゼントをあげるのにふさわしい、いい子かな?」と確かめて、「いい子」と分かったら、プレゼントを届けてくれる。「いい子じゃない」と分かったら、黒いサンタが石鹸を届けに来る。去年もこの話書きましたよね。毎年繰り返される恒例行事です。

あとは、娘の誕生日プレゼントを選ばないといけない。娘は以前からパソコンが欲しい、と言っているのだけど、パソコンは、学校で使い方を習ってから、ちゃんとしたパソコンを買ってあげるね、という話にしています。子供用のおもちゃ売り場には、TVにつなげばいろんなゲームができる結構ちゃんとしたパソコンが売ってたりしますけど、ただのゲーム機になっちゃいそうなので、しばらく我慢してもらう。

クリスマスプレゼント、というのは、バレンタインのチョコなんかと並んで、デパートなどの販売戦略、という気もしますよね。でも、ただ一方的に、人に何かをあげる行為、というのは、結構大切なことのような気がする。お中元やお歳暮、という風習が、どこか見返りを期待したビジネス的な商習慣になってしまった一方で、クリスマスプレゼントという風習が、まだ個人的な無償の行為として存続しているのって、悪いことじゃないですよね。

ただ一方的に善意を示すこと。実はそれが人間関係を改善する第一歩だったりするんです。泥沼の争いに陥ってしまった2つの対立する国があったとして、その争いを終結させるために最も有効なことは、その争いに勝利することではなく、一方が全面的に「善意」を示すことだ、ということを、昔大学で習った記憶があります。いわゆるゲーム理論の中で出てきた話だったと思う。一方が勝利しても、敗北した側に淀む復讐心が、また新しい争いを生む。完全に争いを終結させるには、一方的な善意・無抵抗の表明と、それを示された側の寛容と善意の応酬が、結局は一番大事なこと。

多くの人たちが、自分のできる精一杯の善意を、自分にとって大切な人々に示そうとする月。少し上向き加減に見上げた視線に、善意の示し方をあれこれ考えている人々の笑顔が映る。12月の浮き立つような気分は、いろんな人たちの善意が、町を満たしてくれる季節だからかもしれないですね。