「タニマチ」って大事にしないとね

琴欧州大関昇進のニュースを見ていたら、ドイツ在住の元「床山」という方が紹介されていました。床山、という言葉自体、相撲界と演劇界でしか生き残ってない言葉だよねぇ。この方、床山を引退後、ドイツで不動産業を営みながら、ヨーロッパ相撲協会の理事として、欧州の相撲大会の審判などもやってらっしゃるそうです。ううむ、なんだかカッコイイなぁ。

この方が、欧州の相撲大会で琴欧州を見出し、日本に来るように説得、佐渡が嶽部屋に紹介したんだって。相撲の世界には、こういう全世界的な人的ネットワークがあるんですねぇ。

あるヨーロッパ人歌手が、日本で公演を打つという。とてもいい歌い手なんですけど、失礼な言い方ながら、さほど国際的に有名な方ではない。どうして日本で公演を打つことになったのか、裏事情をご存知の方に聞いてみた。

「ある日本企業の社長さんが、イタリア旅行中に、イタリアのレストランでアルバイトで歌ってた彼の声に惚れこんだんだって。その社長さんがスポンサーになって、日本に招いて、色んな公演プロデューサに紹介したり、公演のチケットをまとめて購入したりしているらしいよ。」

・・・まさに「オペラ歌手のタニマチ」ですね。こういう話って、結構身の回りで聞く話です。ある知り合いのソプラノ歌手の方は、「芸大在学中からの固定ファン」というファンを抱えていて、「どの演奏会にも来てくださるし、友達を紹介してくださったり、チケットをまとめて購入してくださったり、ほんとにありがたいの」とおっしゃっていました。

相撲と舞台表現、というのは、全然似ていないようで、実はすごく大きな共通点があります。どちらも、生産的な経済活動とは無縁である、ということ。相撲も舞台も、極限まで自分の技術を高めた人間の肉体がぶつかり合う場、という意味で共通している。そしてそこからは、感動という目に見えないものしか生まれない。目に見える物体が生産されるわけじゃない。舞台も一期一会のライブなら、相撲も同じ。

そういう「感動を生産する」パフォーマンスを支えているのは、経済的な利害からは全く縁のない所で、「ただただその人のパフォーマンスが好きだから」ということで、色んなサポートをしてくれるファンの方たち。前述のような派手なタニマチさんたちだけじゃなく、公演のチケットを買ってくれる一人ひとりのお客様も、とても大事なタニマチさん。

もちろん、タニマチさんをどれだけ集められるか、ということが、その歌手の実力になってしまっているケースも結構あって、??が飛ぶこともありますけどね。池田理代子がアディーナをやった「愛の妙薬」で、国際フォーラムのAホールが満杯になる、なんて聞くと、それって何なのって思っちゃうけどさ。その他にも、「どうしてこの人がトップクラスなんだろう?」と思ったら、「固定ファンが多くてチケットが確実にはけるから」という人は結構いるよね。

でも、舞台という所は、ニワトリと卵みたいな場所だったりして、そういうタニマチさんのおかげで大舞台を何度も経験しているうちに、実力のさほどなかった人がどんどん成長して、ホンモノに化けていくこともある。なによりも、タニマチさんを惹きつけるだけのオーラを出している、というのは、舞台表現者としてとても大事なこと。「オレは実力だけで勝負するんだ!」なんて綺麗事ばっかり言ってないで、舞台表現者としては、ファンやタニマチさんを本当に大事にしないとダメだよね。

面白いのは、そういう「タニマチさん」を惹きつけるオーラを持っている人や、「タニマチさん」たちに対する気遣いを忘れない人間味のある人、というのは、パフォーマンスに対しても謙虚で、傲慢なところのない、一流の人であることが多い。要するに、一流の人は、パフォーマンスに対しても、「タニマチさんを集める」という点に関しても、やっぱり一流だったりするんです。

「あの人はいいタニマチさんを確保したから、運がよかったんだ」「オレはそういう運に恵まれなかったから」とおっしゃる方も多いし、確かにそういう出会いというのは、「運」に左右される部分が多いとは思います。実力もあり、人柄もとっても素敵なのに、中々大舞台で活躍する機会のない方というのは、この業界にはヤマのようにいると思う。でも、人を惹きつけるオーラや、人柄の部分に問題があって、そもそもタニマチを集めることができない人が、「運が悪いんだ」と言っているケースも一杯あると思う。

自分が認められないのは自分に実力がないから。自分が認められたのは、運がよかったから。そういう風に常に謙虚に、自分の現状を受け止めないと。