どうやって見極めるのか

今日はなんだか無闇に忙しいので、あんまり長文はかけません。なので、本当に短い文章だけ。

また、小さな子供を標的にしたむごい事件が起きました。どうして、という話をいくらしても、人間という生き物の心の中に、奥深い闇が巣食っている以上、同じような事件は潜在的に起こりうる。同世代の子供を持つ親としては、どうやってそういう闇から自分の子供を守るのか、そればっかりを考えます。

誰も信用するな、ということはたやすいけれど、人間という生き物は、人を信用しないと生きていけません。となると、あとは「誰が信用できるのか」ということを子供に教えていくしかない。でも、よく言われる、「知らない人についていかない」という方法だって万能じゃない。知っていると思っていた人の中に、どんな闇が隠れているのか、これだけ個々の人が「プライバシー」という鎧で自分の本質を覆い隠すことができるようになった社会で、隣の人がどんな人なのか、知ることは不可能なんですから。

0か1に割り切れない問題だからこそ余計に、どう対応していいのか、本当に難しい。自分だけでいくらじたばたしても、自分の子供を守りきるのは不可能です。守り続けることは、子供自身が外に飛び出していくことを抑制してしまう。子供が成長していく時のリスクと割り切って、どこかで外の世界を信用して送り出していかないといけない時がくる。人間という厄介な生き物は、誰でもが闇を抱えている、それが自分に襲い掛かってくるかもしれない瞬間を、子供にどうやって見極めさせるのか。それこそ、私たち大人でさえも、そんな闇がいつ自分に襲い掛かってくるかを見極められずにいるのに。

「はじめてのおつかい」という人気番組がありますが、うちの子供にも、そろそろ一人で買い物などをやってもらう時期がきたなぁ、と思います。夫婦で時々話し合うのですけど、そういう時にも真っ先に考えるのは、安全、ということです。電車に乗って都心に向かわせるのは怖くてできない。せめて市内を移動するとしても、どこに行かせるのが安全だろうか。

昔の日本はこんなに物騒じゃなかった、と嘆く人は多いでしょう。でも最近この日記で書いているように、昔を懐かしんだり、昨今の風潮を嘆いていても、解決方法は見つかりません。この先どうやっていけばいいのか、どうすれば、子供の安全を守れるのか、これから色んな方法を模索していかなければ。

犠牲になったお子さんのご親族の方々には、本当に心から、お悔やみを申し上げます。一刻も早く犯人が見つかりますように。